1人っ子なんでボッチは慣れっ子 むしろ心地いいくらい 仕事柄 シニア期の孤独や孤立の軽減 なんて発信はするけれど いつも 腹の中には矛盾したモヤモヤがある 歳をとって生活が自己完結できないと 孤立しちゃうから そんな日に備えて準備しよう ぼっちでも何かしらのつながりや 帰属感を感じながら あんしんして暮らすヒントを みつけておくのはどーでしょう そんな程度ならピタリときます みんなでアイスクリームをシェアする それより ひとりでペロペロしたい 気ままにボッチを謳歌し
近所の川探検・川調べ講座に親子参加。先生が仰るには雨上がりで比較的水はキレイとのことですが、簡易テストの結果は汚水の部類。一応都内だしこんなもんです。雨で水嵩が増すと生活排水も川に流れだすことも要因だそうです。 みんなで川底や水辺の草むらを網ですくっては渡された白いトレーに開けてを繰り返す。生き物なんかいないだろな、と思いきや2-3すくいで、ザリガニの赤ちゃんやヒルや得体の知れないウニョウニョした生き物でトレーは一杯です。 "ああみんな生きてるわ"と素直な気持ちが湧き上が
資本主義経済の歯車から 外れて脱成長で行こう そんな言葉をよく聞きます 昔むかし昭和の 高度経済成長期 みんなが同じ方を向いていました より早くて より安くて より便利で 良い学校に入って 良い生徒を演じて 良い会社に入って モーレツに働いて 追いつき追い越すために コストパフォーマンスを タイムパフォーマンスを 追い求めたその先には より良い暮らしがあって 今日より明日はもっといいと信じてました でも効率を追い求めたその先には どこまでも均一で のっぺらぼうな
昔は家族って沢山いたんだよ。しかも隣近所の人たちがしょっちゅうお互いの家を出たり入ったり、誰が誰だか家族も近所の人もごちゃ混ぜ。すごい怖い近所のオヤジとか、うるさいオバさんとかも、いたねー。他人の子でも凄い剣幕で怒るし、頭ポカボカ叩く大人ばかりでさ。今なら訴えられるよ、ほんと。でもさ、あれでいいんだよ。 いろいろな会合でシニアからよく聞く子供の頃の話です。たしかに昭和30年頃は世帯人数の平均は5人、子供は多くてシニアが少なかった頃です。豊かではないけど、熱気や活気があって助
新宿西口地下を歩いていると「イノキボンバイエー」の音楽と等身大パネルとリングが見えました。アントニオ猪木展です。 懐かしさと共に店内に入ると有名試合や闘魂注入のパネル写真や闘魂赤タオルに各種Tシャツとグッズが並んでます。繰り返すボンバイエのBGMに少しづつ気持ちが盛り上がった為か、左程ファンでもないけど、気付けば手に2枚Tシャツを抱えてました。 買い物をするとリングに上げて拳を振り上げてダァーのポーズで記念写真がとれます。年配男性というか80代は超えていそうな男性も左手は
30年近く前の学生のときの話。新宿歌舞伎町コマ劇前にはオデオンという名のパチンコ屋がありました。場所柄得体の知れない人たちが沢山出入りしてて、いまで言うダイバーシティの最先端だったなと記憶してます。 北海道の牧場で働いていたけど嫌になって新宿に出てきた青年、ホストやチンピラ崩れのカップル、イケナイ貿易商をしているという顔に切り傷ある中国人のゲイカップル。営業サボリ、暇なマッサージ屋経営するオバさん、警備仕事の帰りに缶チューハイ片手に負けまくる赤鼻のオジさん、、まさに多様性と
先日お会いした方が、感慨深く呟いてました。ともに米寿を迎えたご夫婦で、東京府四谷町生まれ(いまの新宿)。国民学校(いまの小学校)時代の終戦少し前の頃のお話です。 むかしは街中や新宿駅前の雑踏に買い物に出掛けても知った顔の人に何度も会うし、挨拶してばかりでちっとも用事が進まないんだ。近所は皆んな知り合いで怖いおじさんおばさんが誰の子だろうと悪いことをすると怒鳴りつけてたよ。 スマホもテレビもない時代だから情報がない。今日明日の天気やニュースもお互いに教えあわないと取り残され
東京駅から皇居へと続く一本道(行幸通り)は、季節ごとにイベントスペースになっています。今は期間限定の小さなアイススケートリンクが出来て、有名アーティスト(草間彌生?)の作品が展示されています。 スケートを楽しみ、思い思いに写真を撮る人たちで賑わう中、東京駅を背に皇居へ向けて土下座している人たちが2人いました。謝罪や感謝の言葉なのかは聞き取れませんが、何かを呟き祈っている様です。 私たちは毎日の暮らしの中で喜んだり悲しんだりしながらも、どうにもならないことには時に神頼みした
警察から連絡がありました。「踏切の中でボーと立っていた70代男性を保護している。具合悪い訳でも自死しようと思ったのでもなく、ただ仕事に向かう途中だったのに、と本人は言うが物忘れがありそう。住所は言えたので、担当エリアの包括センターがそちらなので、送り返すから立ち会ってほしい」とのことでした。包括ではお馴染みの仕事です。 自宅前で待ち合わせるとパトカーから連れてこられたのは金髪男性。ドラマHEROの頃のキムタクばりでとても若くヤンチャに見えましたが、近づいてよく見ると年相応と
私が福祉の仕事をはじめたのは今から15年程前、ちょうど制度改正で地域包括支援センターが創設された頃です。 芸人になる放送作家になると努力もそこそこに夢ばかり膨らませていた暮らしをリセットして北海道へ移住。ヘルパーの資格をとり笑いのエッセンスがいかせるからとデイサービスで働いていました。 定員40名のデイサービスで麻雀が売りの1つで地域でも人気の施設でした。全自動の麻雀卓が2台に手積みの卓も出して、毎月開催される麻雀大会には5-6卓が並び、曜日変更や追加利用の方々で大盛況で
職場から自宅は自転車で15分。自転車で風を切ると肌寒い秋夕暮れの帰り道、今日は400年ぶりの月食です。帰り際にたくさんの人が川沿いや高台にある公園、玄関前に出ていました。道路際に椅子まで用意して、ビールを飲んで黄昏たり、スマホで写真を撮って見せっこしたり、ひたすらお喋りしたり、思い思いに楽しみながら月を見ています。月が街人心を繋いでいるな、と感じた1日でした。 私は都内の地域包括支援センター(委託型)という所で働いています。全国に5000箇所以上ある65歳を過ぎた方の相談窓