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私が私と話すところ
東京駅から皇居へと続く一本道(行幸通り)は、季節ごとにイベントスペースになっています。今は期間限定の小さなアイススケートリンクが出来て、有名アーティスト(草間彌生?)の作品が展示されています。
スケートを楽しみ、思い思いに写真を撮る人たちで賑わう中、東京駅を背に皇居へ向けて土下座している人たちが2人いました。謝罪や感謝の言葉なのかは聞き取れませんが、何かを呟き祈っている様です。
私たちは毎日の暮らしの中で喜んだり悲しんだりしながらも、どうにもならないことには時に神頼みしたりします。社会に矛盾や理不尽があるからこそ宗教があるし、孤独や孤立があるから神様もいるのかなと思ったりします。
首を垂れる2人の姿を見ていると、昔にみた景色が蘇ります。20代の頃に旅行先のインドで見たガンジス川の沐浴風景、それに勤務先のデイサービスでイスラム信者の利用者が別室(相談室)で人知れずに祈る姿です。
他者への祈りは自分との対話です。超越したものと繋がることで私たちは、自分自身を見返しています。私が自分と対話できる場所ってどこだろう、少しだけ考えさせられる景色でした。