第三の縁
昔は家族って沢山いたんだよ。しかも隣近所の人たちがしょっちゅうお互いの家を出たり入ったり、誰が誰だか家族も近所の人もごちゃ混ぜ。すごい怖い近所のオヤジとか、うるさいオバさんとかも、いたねー。他人の子でも凄い剣幕で怒るし、頭ポカボカ叩く大人ばかりでさ。今なら訴えられるよ、ほんと。でもさ、あれでいいんだよ。
いろいろな会合でシニアからよく聞く子供の頃の話です。たしかに昭和30年頃は世帯人数の平均は5人、子供は多くてシニアが少なかった頃です。豊かではないけど、熱気や活気があって助け合いが生きるためにも必要な時代でした。まさに地縁血縁と言われる繋がりやシガラミもありました。
いまはどうでしょう?世帯人数の平均は2人、東京都は1.9人まで減少しています。子供は少なくてシニアが沢山の街になりました。気軽でマイペースに干渉し合わない都会の1人暮らしがスタンダードです。そして1人生まれては2人死ぬ時代、2070年には日本の人口は8000万人まで減少するといった統計も示されてます。こうなると、社会的に繋がりの少ないシニアは、病気やフレイルがキッカケに益々孤立を深めてしまいます。
コロナは孤独を深める一因でしたが、逆にいえば繋がりの大切さや必要性をみんなが感じるキッカケにもなりました。お互いを気にかけ合って、少しの優しさを分け合いながら、誰もが緩やかに社会と繋がりを感じながら暮らせたらいいのにな、と思ったりします。
そうなると私たちに必要な第三の縁って、自分が他人、社会、自然と緩やかにつながりを感じれるように選択決定ができる、「循環型の輪廻な縁」かなって。やっぱりこういう話って宗教的なオチになりがちです、そんなつもりはないんだけど…。