はじめて社会人になったとき、大人たちに愕然としたよ
社会人になって、はじめて働きはじめたとき。
若い私には、「信じていた」というよりも、「当たり前に、確信していたこと」があった。それは、
長く生きている大人たちは、その分、立派に違いない。
というものだった。
まだ純だった私は、大人をそのような存在として捉えていたのである。
当時20代前半だった私にとって、27歳~28歳の人も充分に「大人」であったし、40~50代ともなれば、親と同年齢、もしくはそれ以上である。
みんな私よりずーっと長く生きた人たち。
大人の世界には、いじめも、つまらぬうわさ話で花を咲かせる習性もないんだろう。成熟したまともな人間たちが、まともな言葉を交わし合い、まともな行動をとるだろう。
だって、長く生きるって、「よくなっていく」ことだもんね。
若かりし頃の私は、このようにバカ、純粋だったのである。
だから、ほどなくして愕然とすることになった(笑)
同じような経験が、みなさんにもあるのではなかろうか。
下っ端の私が仕事を教わりながら、そのうち仕事にも慣れ、周りを見渡す余裕もできると、大人たちの様子がクリアに見え始めて、私は心底驚き、そして愕然とした。
まず、いじめとうわさ話は、子供時代と変わらず繰り広げられておる(笑)
その上で、「保身」という、人間の醜さを凝縮したような醜態を、当たり前のようにさらす大人がいる。
カッコよく、ステキな大人が、あまりにも少ないことに、若い私はびっくりした(笑)
この先輩は、やたらと上司にゴマするなぁ。
この人は、部下にはあんな風に言ってて、上司にはこういう態度とるんだ。
この先輩は、取引先のお客様の前で、自分の後輩を貶めるようなこと言うんだね。
ぜーんぶ、自分の立場を守るためってわけか……。
人間だれしもが、自分を安全な場所に置きたいし、他者より優位な立場になりたいって気持ちはあるよね、私だってそうだよ。
でも、保身って……こんなにもあからさまに、開き直って、人に見せられるものなの?
あ……!!
これは、まさか「この会社だけ」のことなの??
……と思いきや、転職したって同じであった(笑)
長く生きると、人は人格的に立派になると思っていたのは、大間違いであった。まともな大人たちは、ごくわずか。でも、ごくわずかだが、存在してくれたのはありがたいことだった。
……などと、大人たちを軽蔑しているうちに、私は30代になり、40代になり、あと数年で50を迎える。
若者から、「こいつはまともな大人なのか」とジャッジされる立場の年齢になってしまった。
あわわ。
今なら、分かる。
保身に、迎合に、八方美人。
いじめに、うわさ話に、脚の引っ張り合い。
これらすべては、若い私の心の中にも、厳然と存在した。
だから、目の前でそれらを見せられる度に、汚物を嗅がされたみたいに、顔を背けたくなったのだった。
私は、基本的に、弱く、カッコ悪い。
でも、だから、祈り続ける。
おい、私よ。
やせ我慢であろうと、そんなみっともない姿を、「この私」に見せないでいてちょうだいね。「若者のために」じゃなくて、自分のためにだよ。
私は弱く、ちっぽけであるが、少しでも「いいな」と思える自分でありたい。
そうして、自分が「よし、悪くないぞ、この私」と思える姿になって、死にたい。
今から10年経って、「うん、10年前より成長したな、私はよくなっている」と思いたい。
ガンに罹患したから、10年なんて時間、もしかしたら残されていないかもしれないけど。
とにかく、死ぬまでそうやって生きるだけである。
「こういう大人がいるなら、この社会も捨てたもんじゃない」
「こういう大人がいるなら、自分も歳をとるのも楽しみだな」
若者たちに、そんな風に思われる大人たちが、増えたらいいですよね。
それには、大人の一人ひとりが「少しでも、自分がかっこよく思える自分になろう」と思って生きるほかないだろう。
「どんなかっこよさ」を目指すのかは、人それぞれ。
好きに選んだらいいと思う。
そして若者も、あっと言う間に、歳をとる。
大人を軽蔑して、老害だのと言っている間に、自分自身がスカスカになりませぬように。
……などと海の日に、大人ぶって、カッコつけてみました(笑)
よかったら、またお会いしましょう。