
<本と映画の答え合わせ(第31~35回)>「ライ麦畑でつかまえて」、「ロリータ」、「ジキルとハイド」、「BONES AND ALL」、「大いなる遺産」
(第31回)ライ麦畑でつかまえて
【本】
〇タイトル:ライ麦畑でつかまえて
〇作者:J.D.サリンジャー
〇感想:
・本(原作)を初めて読んだのは、社会人になり米国短期留学から帰国した直後であった。ホールデンの視点を通して描かれるハイスクールライフは、青春期の葛藤や孤独感を思い起こさせるもので、当時の自分と重ね合わせながら読んだ。斜に構えたホールデンの心の動きや不安定さに、まるで自分の一部が投影されたかのような感覚を覚えた
・40代後半で、再びこの作品を手に取った。今度はより深いレイヤーで作品を感じ取ることができた。ジョン・レノン、チャップマン事件、イマジンやストロベリーフィールズといった要素が、米国の風景とともに自分の中でこの作品と結びついている
・ホールデンの反抗期や孤独感は、かつての自分の青春を鮮明に蘇らせ、懐かしさとほろ苦さが交錯する読書体験となった
・サリンジャーについて、「フラニーとズーイ」のように分かり易そうでよく分からない作品が多い印象であるが、本作品はホールデンの感情がダイレクトに伝わり、理解できる
〇評価:◎
【映画】
〇ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー(2019年)
〇監督、主演:ダニー・ストロング監督、ニコラス・ホルト
〇感想:
・この映画は、サリンジャーが「ライ麦畑でつかまえて」を執筆するまでの過程と、その後の生活を描いている。本(原作)の内容とは異なるものの、サリンジャーという人物と彼の心の内、葛藤を理解する上で興味深い作品だと感じた
・特に、熱狂的なファンに対してサリンジャーが恐怖を抱くシーンが印象的で、当時も今も、若者たちがホールデンに強く共感し、自己を重ねるほどの影響力を持つ作品であることを再確認させられた
・ふと考えてしまう。もしも「ライ麦畑でつかまえて」という作品が存在していなければ、つまり、ホールデンというキャラクターが生まれていなければ、ジョン・レノンはチャップマンに撃たれることはなかったのではないかと。レノンが生きていれば、きっと「イマジン」以外にも数多くの名曲が生まれていたはずだという思いが、心の中に残る
〇評価:○
【総合】
〇感想:
・映画と本(原作)は全く異なる作品だが、本(原作)は一生に一度は読むべき名作である。ホールデンと同じ年頃にこの本に出会っていたら、どのように感じただろうか。きっと今以上に強く共感し、彼の孤独や苛立ちが自分自身のもののように感じられたに違いない
・青春時代の自分を思い起こすもう1つの作品は、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」である。「車輪の下」を読んだときは涙が止まらなかったが、「ライ麦畑でつかまえて」では泣くことはなかった。これは最後のシーンの違いによるのであろう
・ホールデンとハンス、2人の主人公は性格は全く異なり、違う結末を迎えるが、読者はそのどちらにもかつての自分を投影することができる
(第32回)ロリータ
〇タイトル:ロリータ
〇作者:ウラジミール・ナボコフ
〇感想:
・これまでに似たような作品を読んだことがなく、その独特なテーマやアプローチが非常に印象的。物語の核となる主人公ハンバートの異常性に対して共感できる場面は少ないが、それでも彼のような考え方や感情を持つ人物が現実に存在し得るということを認識でき、有益
・こうした倒錯した愛情や感情の背後にある心理を社会がどのように扱うかを考える機会を与えてくれる作品
・ハンバートの内面描写を読み進めるうちに、どこまで彼がナボコフ自身を投影した存在なのか、常に気にかかった。彼の欲望や思考があまりにもリアルに描かれているため、ナボコフの個人的な体験や感情がどこまで影響しているのか疑問を抱かざるを得ない。これが作品の深みを増し、一層引き込む要素でもある
・屈折した自己意識に満ちたハンバートが「ヨーロッパ旧世界」を象徴し、成熟しつつも素朴で無垢なロリータが「アメリカ」を象徴しているという解説には深く納得した。この視点で物語を読むことで、単なる個人の倒錯的な物語ではなく、文化的、歴史的な象徴として捉えられる点が非常に興味深い
〇評価:◎
【映画】
〇ロリータ(1962年)
〇監督、主演:スタンリー・キューブリック監督、ジェームズ・メイソン
〇感想:
・本(原作)ではクィルティの印象が薄く、彼がなぜハンバートに殺害されたのかを明確に理解できなかった。しかし映画を注意深く観ることで、クィルティが物語全体において果たす役割や、ハンバートにとっての脅威が明らかになり、ようやくその動機が納得できた。この点で、映画は本(原作)の補完として機能していると感じた
・ハンバートの自己愛や傲慢さが映像を通じて一層際立つ。性的嗜好に関しては個人の自由があるにせよ、ハンバートの行動はしばしば中年男性のエゴとして描かれており、特に彼の年齢とロリータとの年齢差が強調されることで、視聴者に不快感を与える部分がある。この点に関しては、年齢差が大きすぎる場合、恋愛ではなく支配や搾取の構造が浮き彫りになるように感じた
・監督がスタンリー・キューブリックであることを観賞後しばらくしてから知った。同監督は独特の映像美や構成力等が特徴だが、この作品ではクラシックが流れるわけでもなく、そうした要素が控えめに感じられる。初期の監督作であるためか、彼の後の作品に見られる独特のスタイルがまだ十分に発揮されていないように思う
〇評価:△
【総合】
〇感想:
・冒頭の一文は邦訳に留まらず、原文 "Lolita, light of my life, fire of my loins. My sin, my soul. Lo-lee-ta: the tip of the tongue taking a trip of three steps down the palate to tap, at three, on the teeth. Lo. Lee. Ta. " まで知るべきと思う。原文ならではの響き、まるで詩のようである
・日本では「ロリータコンプレックス」を略した「ロリコン」という和製英語が広く認知されているが、これに対して少年に対して同様の感情を抱く中年男性を総称する用語は見当たらない。こういった性的嗜好は、昨今のLGBTや多様性の推進の流れとは別軸にあり、社会的に公に肯定されることはほとんどないであろう
・特にジャニーズ事務所の問題が報じられたことを受け、少年に対する性的嗜好についても認識され、批判がさらに高まる可能性がある。社会がどのようにこの問題に向き合っていくのか、今後の展開を注視する必要があるだろう
・子供(男女拘わらず)を持つ親は、ハンバートのような性的倒錯者が世の中には一定数存在し、身の回りにいるかもしれないという認識をしっかりと持ち、子供を守る必要がある
(第33回)ジキルとハイド
〇タイトル:ジキルとハイド
〇作者:ロバート・L・スティーヴンソン
〇感想:
・ジキルとハイドと言えば、人間の二面性を題材にした作品としてよく耳にする。しかし、その詳細なプロットや、いつどのように人格が入れ替わるのかについては、意外と知られていないことが多い。そこで、今回あらためてじっくりと読み、そのテーマをより深く理解することとした
・もしこの現象(変身)を自分自身に当てはめたとしたらどうか。どれほどの「悪」が自分の中に潜んでいるのか、そしてその「悪」が表に現れた場合、どんな人物になるのかを想像するのも興味深い。普段は理性で抑えられている欲望や感情が表に出たとき、自分がどれだけ変わってしまうのか、考えるだけでも不安を感じさせる
・変身当初のように薬品を飲むことで入れ替わるのであればコントロールが効く。一方で、薬品を使わずとも寝ている間、挙句の果てには覚醒中に変身してしまう状況に陥っては「悪」の部分に乗っ取られ、最終的には「善」の人格を凌駕してしまう。これは「悪」がどれほど強力であるか、そしてそれがどれほど人間を支配し得るかという恐怖を強く感じさせる
・それでも、ハイド(「悪」)の姿のまま迎える最期(自殺)には、どこかに「善」(ジキル)が残っていたように見える。ジキルは完全に「悪」に支配されることなく、最終的に自己崩壊へと至る。この点において、私たちの中には「善」と「悪」が常に同居し続け、どちらか一方が完全に消えることはないというメッセージが込められているように感じる。「善」または「悪」どちらか一方のみの人間は存在しないと信じる
〇評価:◎
【映画】
〇ジキル&ハイド(1996年)
〇監督、主演:スティーヴン・フリアーズ監督、ジュリア・ロバーツ、ジョン・マルコヴィッチ
〇感想:
・ジュリア・ロバーツ演じる主人公メアリーの登場により、本(原作)にはなかった恋愛要素が加わり、物語はより複雑な人間関係に焦点を当てている。このため、本(原作)とは異なるシーンや展開が多く見られるが、「人間の二面性」というテーマはしっかりと受け継がれている
・映画全体を通して、薄暗く陰鬱なシーンが多く、特に音響がスリリングな場面を強調して、視聴者に不安や恐怖感を抱かせる。このような演出のため、映画はホラー要素が強く、心理的な恐怖が全編にわたって感じられる作品に仕上がっている
・ジキルとハイドを演じたジョン・マルコヴィッチの豹変ぶりも、この映画の大きな魅力の1つである。特に最後にハイドからジキルに戻る場面は印象的で、予想外の方法での変身が描かれている。これは当時の最新技術を駆使したシーンであるが、今となってはやや時代を感じるユーモラスな演出にも映るかもしれない
・人間の二面性について考えると、例えば、アルコールの影響で「酔うと人が変わる」という現象も、ハイド(「悪」)の登場とまではいかないまでも重ねて考えられる。泥酔して記憶が途切れるとき、我々の中に眠る理性で抑えられている欲望や感情が表に出ているのではないか、変なことをしていないかと思わせる点が面白い
〇評価:〇
【総合】
〇感想:
・映画は本(原作)通りに進むわけではないが、基本的な筋書きやテーマはしっかりと踏襲されている。映画だけを見ても十分に楽しめるペースで展開していくが、物語の深みをより理解したい、あるいは本(原作)を体験したいという場合には、ぜひ本(原作)を手に取ることを勧める。本(原作)は比較的短く、読みやすい長さである
・ジキルは理性的である一方、ハイドは自己の欲望のままに行動する。この対照的なキャラクターの描写は、人類が長い年月をかけて獲得した「理性」という特質をあらためて問い直す。もし、私たちが本能的な「欲望」に支配された状態を、心のどこかで無意識に求めているとしたら、それは不思議なことではないのかもしれない
・「理性」と「欲望」、「善」と「悪」の拮抗は、すべての人間に共通するテーマであり、この物語が全世界で長年愛されてきた理由の1つと考えられる
(第34回)BONES AND ALL
〇タイトル:BONES AND ALL
〇作者:カミーユ・デアンジュリス
〇感想:
・愛情を感じた相手を食べてしまうという異常な設定に、作者の非凡な発想が光る。赤ん坊がベビーシッターを食べる描写には無理があると感じつつも、こうした大胆な展開が読者の興味を離さない力を持っている
・本を読む楽しさの1つに「結末を予測し、最後に答え合わせをする」ことがあると再確認させられた。映画だとテンポが速く、展開に没頭してしまいがちだが、本ならではのペースで考えを巡らせることができる。この作品でも、主人公のマレンと相手役リーの運命を予測しながら読み進める楽しみがあり、果たして二人のどちらかが最後に食べ、または食べられてしまうのか、やはり主人公のマレンが食べる側であろうと想像が膨らむ
・文章自体は難解な表現もなく登場人物も限られているため、読みやすいことも魅力。さらに、「巨匠とマルガリータ」や「指輪物語」、日常の象徴とも言えるウォルマートといった馴染みのある言葉が登場し、親近感が湧きつつ飽きずに読み進めることができる
・物語の軸は、マレンが自身の出生の秘密を探る旅かと思いきや、それだけに留まらず、成長と自己探求の物語へと広がっていく。父親を探し、己の過去を知った彼女がさらに歩みを進めていく姿は、食人という異常な背景の中でも普遍的な成長の物語として深い共感を誘う
・人を跡形もなく食べ、証拠も残さず警察に捕まらないという非現実的な設定が、映画ではどのように視覚化されるのか、強く興味を引かれる。実写の中で、どこまでその「異常さ」がリアルに描かれるのか、映像表現にも期待が高まる
〇評価:〇
【映画】
〇BONES AND ALL(2022年)
〇監督、主演:ルカ・グァダニーノ監督、テイラー・ラッセル、ティモシー・シャラメ
〇感想:
・本(原作)を元に構成等は異なるものの大きく逸脱することなく映画化されている。しかし、鑑賞後の余韻は本(原作)読了後とはまた異なるものであった
・映画ではマレンは母親を探しに行く。本(原作)と映画でマレンの母親と父親の役割を変えた理由は明らかではないが、母親との再会を目指すことで、物語にさらなる「孤独」と「母性」というテーマが浮かび上がり、マレンの孤立感と渇望感を強調させる
・通りすがりのお祭りでリーが狙いをつける露店商の人物であるが、本(原作)では女性のはずが映画では男性。ティモシー・シャラメが男性と絡むシーンは「君の名前で僕を呼んで」の影響が強いためか自然に感じる
・音響で驚かす演出はないが、人食いのシーンを初め、所々グロテスクな場面があるのでホラー映画が苦手な人は避けた方がよい。特にサリー(♂)が下着姿で顔面と首を血に染めてミセス・ハリスを食する映像は強烈である
・広大なアメリカをドライブする映像も映画の魅力の一つである。大学4年生の夏休みに友人と3人でアメリカ西部を3週間かけて州を跨いでドライブ旅行した時に目にした風景が蘇った。マレンとリーが各地を旅する場面では、荒涼とした大地や広がる空が、彼らの孤独感や自由を象徴している
〇評価:〇
【総合】
〇感想:
・結末の描かれ方に等により本(原作)と映画で印象が異なるので、それぞれで楽しめる作品。個人的には成長していくマレンの姿がより伝わる本(原作)の方に惹かれる
・本(原作)を読んで映画を鑑賞すると、言いたいことは「相手を食べてしまうことも愛」なのか「人肉は美味しい」なのかよく分からない。特にメッセージはなく、特殊なバックボーンを持つ孤独な若者同士のラブストーリーと理解する
・作品全体に流れるカニバリズムは、現代の食文化や代替肉に対する興味深い視点も感じられる。数年前に代替肉ブームに目を付け、米国ビヨンドミート社の株式を先見の目を持って購入したはずが、現在9割近く下落している。。。損切りはしない方針なので持ち続けるつもりであるが、肉に対する人間の執着や依存を身銭を切って学んだ
(第35回)大いなる遺産
【本】
〇タイトル:大いなる遺産
〇作者:チャールズ・ディケンズ
〇感想:
・ピップ、エステラ、マグウィッチ、ミス・ハヴィシャムといった登場人物たちの複雑な関係が物語の中心にあるが、これらの人物たちがどのように繋がっているのかを本(原作)だけで理解するのは容易ではない。特にピップとマグウィッチの関係や、ミス・ハヴィシャムがエステラを育てた意図が、ディケンズ独特の重厚な文体の中で曖昧に感じられた部分もある。しかし、物語が進むにつれてこれらの人物たちの繋がりが徐々に明らかになる過程は、読み手に深い印象を与える
・ディケンズの作品全般にハッピーエンドのイメージを持っていたが、この『大いなる遺産』はその期待を裏切る形で、必ずしもハッピーエンドとは言い難い結末を迎える。ピップが抱く"Great Expectations"と現実とのギャップが、彼の成長を描く上で重要なテーマとなっており、物語の終盤ではピップが理想を追い求めた結果に対する苦い思いが描かれている。これは、単なる成功物語ではなく、むしろ失望と反省を踏まえた内面的な成長の物語と言えるであろう
・ディケンズの他の作品、例えば『二都物語』は、登場人物たちの関係が比較的理解しやすく、またフランス革命という時代背景も手伝って、物語の進行がスムーズに感じられる。個人的には『大いなる遺産』よりも『二都物語』の方が、ディケンズ作品の中で特に読みやすく、かつおすすめの一冊である
〇評価:〇
【映画】
〇大いなる遺産(2013年)
〇監督、主演:マイク・ニューウェル監督、ジェレミー・アーバイン
〇感想:
・ジョーが非常に印象的。ピップの義理の兄として、優しく献身的な存在で、ピップが抱える期待や苦悩に対して常に温かく接する人物である。このため、ピップがロンドンへ行かず、彼のもともとの環境である鍛冶屋での生活を続けていれば、もっと穏やかで幸福な人生を送ることができたのではないか、と思わず考えてしまう
・"expectations"、"property"、"benefits"がすべて「遺産」と一括りに翻訳されてしまっており、ディケンズが描こうとした微妙なニュアンスが損なわれているように感じた。例えば、"expectations"にはピップの未来への期待や憧れが込められているが、それが単に「遺産」として訳されると、物語の深層にあるテーマが伝わりづらくなる
・19世紀のイギリスの「ジェントルマン」と呼ばれる階級の生活がリアルに描かれており、その当時の社会的な階層構造や価値観がよく理解できる。ピップがその中で自己をどのように見失っていくのか、そのプロセスが視覚的に表現されている点が映画の強みだと思う
・エンディングについては、本(原作)と映画で若干の違いがあり、どちらの結末もそれぞれの解釈に依存する部分が大きい。ディケンズの物語が持つ多層的な魅力が表れている
〇評価:〇
【総合】
〇感想:
・現代では、読み書きができることが当たり前のように思われるが、19世紀のイギリスでは識字率が低く、読み書きの能力が持つ意味は今よりも遥かに大きかったことであろう。ピップの成長物語の一環として、彼が読み書きの力を通じて「上流階級への道」を目指す過程は、当時の社会状況を反映している部分でもある
・邦題「大いなる遺産」は、原題である"Great Expectations"の持つ広がりや深さを十分に表しているとは言い難いと感じた。"Expectations"という言葉には、単なる「遺産」や「期待」以上の意味が含まれており、ピップの上流階級への憧れや理想、そしてそれがもたらす結果がテーマとなっている。この微妙なニュアンスを日本語に完全に置き換えることは難しいかもしれないが、原題"Great Expectations"のままの方が、その複雑さを保つ上で適切なのではないかと思う