スターリンの生まれ故郷ジョージアのゴリへ~スターリン博物館で旧ソ連の雰囲気を感じる
私がジョージアにやって来たのはトルストイを学ぶためであることを以前の記事でお話しした。
だが、せっかくジョージアに来たのならどうしても行きたい場所があった。
それがスターリンの生まれ故郷ゴリという町だった。
当ブログでもこれまでソ連については様々な記事を書いてきた。その中でも特にスターリンについては「スターリン伝を読む」という連続記事も更新した。
そしてスターリンの生涯を学んでいるうちに彼の生まれ故郷ゴリに私は強い興味を持つようになったのである。
ではその彼の生まれ故郷ゴリという町はどのような場所だったのかを見ていこう。
さあ、間もなくゴリに到着だ。
2022年8月当時、私は問題なくゴリの町を訪ねることができたのだが、実はこの町のすぐそこがオセチアという、ロシアが事実上軍事支配している地域なのだ。なので私はまた紛争が起きてこの近辺がいつ危険地帯になるかとここに来るまで心配だった。
ガイドによると、今も少しずつ国境線がジョージア側に動いているらしい。私がこの後に向かうコーカサス山脈もロシアとの国境線がある。だがそちらは道路の問題で侵攻が難しいようで、ロシアが次に侵攻してくるとすればこのゴリの辺りが一番その危険性が高いとのこと。なのでこのゴリ周辺はジョージア軍が常に警戒をしているそうだ。
しかもこの国境線の近くでは今もなお誘拐事件が起きていて、殺されて戻ってくるそう。ロシア側は偶然死んだと言うが明らかに殴られた跡があったそう。
かつていきなりここに侵攻してきて「今日からここはロシア領だからパスポートを発行しろ」と言われ家族と引き離されたおじいさんも最近亡くなったとのこと。
ロシアとの軍事対立が生々しいほどに感じられたお話だった。
たしかにガイドはよくジョージアの歴史を語る時「戦争」という言葉を口にする。だがそれは第二次世界大戦ではなく2008年のロシアとの戦争のことを指している。
第二次世界大戦の時、ジョージアは戦場になっていない。
だが徴兵に取られて戦死した率はソ連圏内でもトップクラスだったとのこと。つまりソ連軍の特攻兵として使われたのがジョージア人だったということなのだ。ソ連の人海戦術と特攻についてはこの「ソ連の人海戦術と決死の突撃ー戦場における「ウラー!」という叫び声とは 「独ソ戦に学ぶ」⑶」の記事を参照して頂ければ幸いである。
こうした歴史的背景を聞き、ジョージアにとってロシアの脅威は心の底からリアルなものなのだということを実感した。
さて、いよいよゴリの町に到着した。「ゴリの住人ほど道路を渡るのが下手な人はいない」とガイドは笑っていたが、たしかに車を気にせずすっと渡ってくる人が多いように感じた。
スターリン博物館に到着。入り口の前にはスターリンの像が立っていた。これぞスターリン博物館。入場前からスターリン礼賛の空気を感じる。
博物館に入ってすぐ、思っていたよりも立派な内装であることに驚く。
しかも中の展示もびっくりするほど充実していた。
そしてガイドの女性も思っていたよりかなり若かった。私たち見学者はこの写真のガイドに説明を受けながら見学していった。
前情報ではこの博物館のガイドはスターリン大好きおばさんが熱烈にその愛を語るということを聞いていたのだがどうも今回はそのおばさんではないらしい。私はそのスターリン大好きおばさんの語りを聞きたかったのだが、今回担当してくれたこの女性はものすごくクール。とにかく淡々とスターリンの歴史を解説してくれた。スターリンへの熱烈な愛という雰囲気は感じなかった。
おそらく40歳には達していないだろうこの女性。やはり現役でソ連時代を知っている世代とは感覚が違うのだろうか。
それにしてもこの博物館の充実ぶりには驚いた。
そしてこの絵を見ていたとき、ふと「共同幻想」という言葉が浮かんできた。
ここにいてスターリンの偉業を称える展示を見ていたら、それは「スターリンに付いていけば間違いない」という感覚になってしまう。
かつてのソ連はこれを全ての局面で圧倒的な物量とエネルギーをもって行っていたのだ。
「この男に付いていけば世界はよくなる!」
「見よ!子供を抱きかかえるスターリンを!」
「見よ!労働者をねぎらうスターリンを!」
「見よ!戦争を勝利に導くスターリンを!」
「そうだ!この人こそロシアに栄光をもたらすのだ!それができるのはこの人しかいない!この人こそ我らの指導者なのだ!」
当時はこれを本気で国民一丸となって信じていたのである。作られた現実、フィクションを生きていたのだ。(信じなかった人はどうなったかは言うまでもない)
だが、かつてのソ連を私たちは笑えない。今なお私たちは共同幻想を生きている。私たちも今、現実の上に作られたフィクションを生きている。
私たちは「日常の当たり前」を生きているが、そこにある価値基準は本当に自明のものなのだろうか。何が良くて何が悪いのか、人から「良い人」と認められる人間像とは何か。生きていく意味はどこにあるのか。
ひょっとして、こうしたことは誰かが作ったものにすぎないのではないか。そしてそれを私たちは当たり前のように信じている。
これのどこがソ連と違うというのだろう。
ソ連時代も何が良くて何が悪い、「良い人間」とはかくあるべきということを推し進めていったではないか。そしてそれを人々は信じ、生きていたではないか。
いやいや、今の日本はそんな強制なんか存在していないと思うかもしれない。
だが本当にそうだろうか。日本の同調圧力、噂社会の怖さはこのコロナ禍で特に顕在化したのではないだろうか。同調圧力が発生するには「こうあるべき」という「正しさ」が必要だ。多数が正しいと思うことと外れたことをした場合「悪」として攻撃されることになる。
ではその「こうあるべき正しさ」はどこから生まれたのか。
そう考えてみると一筋縄ではいかない恐ろしい問題が見えてくる。
私たちは決してソ連を笑えない。その恐怖をこの博物館で感じたのであった。
この記事は以前当ブログで公開した以下の記事を再構成したものになります。
この元記事ではスターリンが育った当時のゴリの様子やこの町特有の「あらくれ文化」についても詳しくお話ししています。スターリンの少年、青年時代の意外な姿をこの記事でお話ししています。きっと皆さんも驚くと思います。ぜひ合わせてご参照ください。
以上、「スターリンの生まれ故郷ジョージアのゴリへ~スターリン博物館で旧ソ連の雰囲気を感じる」でした。
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