ときには意味のないことが価値になる
誰にでも動けない時期はある
漫画『左利きのエレン』の一節にこの言葉があった。
これは広告代理店にデザイナーとして勤めている主人公が、営業とクライアント双方からの無茶を被り2日ロクに寝れず体調がすこぶる悪いなかで上司からかけられた言葉だった。
このセリフを読んだ私(学生時代)はプロ意識の厳しさを感じ取ると同時に、プロでも上手くいかない日があるんだと衝撃を受けた。考えてみれば当たり前のことではあるが、あまり知らないとどうしても人間として遠い存在だと思ってしまう。彼らもまた、人間だった。そしてひとつ、許された気がした。
超人に見えていた人達にすら調子の悪い日があるのなら、
私に調子の悪い日がないわけないじゃないか
無理に動くと軋みが起こる
調子の悪いときに休まず、無理をしてしまうとどうだろう。きっと回復することなく、無理を重ねるごとに状態は更に悪くなる。まさに負のサイクル真っ只中といった具合に。
毎日文句を言わずに働く機械だって、無理な設計や少しの不調を放置して使い続けてしまうと"軋み"が生じてやがて壊れてしまう。
「いま動いているならいいじゃないか」と言って動かしていると、見えない部分で"軋み"による疲労が溜まる。そしてある日突然音を立てて割れ、次の瞬間使えなくなる。
動けないのは"遊び"がないから
軋みが生じる原因の一つに、遊びのなさが挙げられる。ここでいう遊びとは、隙間や余裕のことだ。
あらゆる場面で効率が求められる現代で生活していると、どうしても自分にすら効率を求めてしまうようになる。いとも簡単に効率が上げられるとも。
見せかけの効率を達成しようとすると、つい私たちは「無駄なく」「隙間なく」「全てを使って」をスローガンにして考えてしまう。
しかし、人間の心や機械にとって「無駄なく」「隙間ない」とは、常に自分で自分の身を削りながら動く結果になってしまう。これが"軋み"の正体であり、遊びのなさがもたらす不幸だ。
"遊び"をつくると勝手に動き出す
見せかけの効率に支配された現代において、きっと遊びは排除すべきものに見えるかもしれない。許されないと思われるだろう。
ただし、ここまで読んでくれた読者は遊びが大事なものだと分かってくれたはずだ。
機械でも可動部には遊びを加え、摩擦が起きないようにしている。そうすることでスムーズに動くし、予定外の傷も抑えている。
無駄なことをあえてやる
私たち人間にも同じように遊びを加えてやろう。
無駄や隙間をつくってやろう。
動けないときは、目的のために動いちゃいけない。頑張っちゃいけない。無理に動くと自分の意思で自分の心を削ってしまいかねない。
そうじゃなくて、無駄で意味がなくて目的がなくて価値がなくて効果がない、そんなことだけしよう。
起きてカーテンを開けるだけ、椅子に座るだけ、玄関の前に出るだけ、階段を降りるだけ、そんな意味のないことをして、心に遊びをつくっておこう。いつか動きたくなったとき、自分を傷つけないように。
本記事はポッドキャスト『金曜夜の詭弁と妄言』を元に作成されました。
土曜日20:00~22:00 Twitterスペースで生放送中
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