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信念を持った外見は本質なのだという話

私の母はアクセサリー類が大嫌いだった。
結婚指輪さえしたことがなかったし、何かの折に酔った勢いで父が指輪を買ってきて、たまたま夜遅く起きていた子供たちの前でその指輪を母に差し出したとき、こんなもの買ってこられても、、、と相当迷惑そうだった。
母がその指輪をしている姿を、少なくとも私が実家にいる間は見たことはなかったし、まあ夫婦仲は良かったんだけど、たぶん父は相当落胆していたと思う。

そんな母に育てられてきて、ジェンダーフリー的には言い方がまずいかもしれないが私は男だし、アクセサリー類を含む装飾品にはまったく興味が無くて、今まで付き合ってきた女子が渾身の想いで選んだ何かを身につけていても、気の利いたセリフも言えず、たぶん彼女たちの心をそれなりに傷つけてきたと思う。

それで今の話なのだが。
このあいだ私が恋に落ちた女子が、何カ所にもピアスを付けているわ、手首にはブレスレットをジャラジャラさせているわ、爪はもう悪魔みたいだし、以前だったらドン引きなんだけど、その姿をカッコいいと思う自分に人間としての成長を感じた。
なんだろうこれ、単なる色ボケ?

取りあえずの結論。
私のアクセサリー嫌いは変わっていないし、勝負は外見ではなく中身でするべきだと今も思っている。
問題は信念を持ってアクセサリーを付けているかどうか、それが重要なのだと気づいた。
信念を持っているのなら、アクセサリーはその人の外見ではなく中身そのものだ。

もしかしてこの恋は、そのことに気づかせるための天の采配なのだろうか。
もしそうなら別なやり方で気づかせて欲しかった。
なぜなら、この恋自体が相当つらくて苦しいから。

壁を越えろということなら、こういう壁は10代の人たちの前に差し出してほしいものだ。
私もいい歳だし、しょうがないからこの程度の壁は自分で越えるけど。

それにしても、いくつになっても壁ばかり立ちはだかる笑

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