今を生きるための言葉を知らない、知らないフリをする、冷えてきたなと随分前から感じていた、と盛田はブログに書きかけて止めにした。 昨日、小説を書くので小倉台でしていた取材からの帰りのバスでぼくの隣に座ったお婆さんが居眠りを始めた、風呂敷包みを左手に持っている、下に落ちないように力を入れていたけれど、いつか本当に寝てしまった。いくつか寝言を言っていたが口元の力を抜いている所為か、判然しない。終点までいくのだろうかと心配したが、桜木町に着く手前、はっと起きて降りて行った、ぼくは
植田は千葉駅から姉ヶ崎駅まで行く電車に席を陣取りさっき買ったドトールのミラノサンドAを半分食べ始めた。快速でなく各駅停車だから20分近く停車したまま。缶のおしるこを飲んでいる男がエレベーターに乗って3・4番フォームに降りてきた。音ひとつ出ないような動き。マイケル・ジャクソンのダンスかよと植田は思った。滑らかな動きで植田の右斜め前に座って銚子行きの電車に乗り込む人々を眺め始めた。こういう場合は大抵目が合うものだが、男とはそうならない。でもそのうち、と思って暫く男の方を見ていたが
今日は十五夜で、寛はベランダに出て彼が住むアパートの大家が暮らす家の庭の「コスモス畑」を眺めていた。夏にはペチュニア畑になった。部屋の中に戻って読み終えていた『懐かしい年への手紙』を棚に戻した、唇に窓から入ってくる風が擦れた。2時間前に寛は姫乃とキスをした。少しだけ触れた彼女の左頬が常温の水のようで心地良かった。彼女は前髪が頬の上に触っていて、瞼を微妙に動かした。ぼくは額を近づけて、彼女の前髪をほんの少しかき分けた。指がカクカクとゼンマイ仕掛けの機械のようにしか動かないかっ
人工知能は、「理解」をしているのか?という話です。 是非、聴いてみて下さい。 https://youtu.be/KTMKcEuWTF0?si=8aRuAQVUtQw7TPrL
andymoriのグロリアス軽トラ。 スイカは分けることが出来る。
この短編は新人賞には関係ありません。
次は5ヶ月半後の新潮新人賞に向けて創作していきたいと思います。 あとで原稿を読み返してみたらし、第五章にふたつ脱字があることが判明しました。まあ、そこまで問題ではないですし、誤字脱字が数えるくらいでしかないのなら、普通に読めますし、落とされることはないので、心配はないですね。
原稿を送りました
あとは少し推敲する程度ですね。 タイトルが思い付かない…。
今回の小説に関係している楽曲を集めました。 https://open.spotify.com/playlist/6qUh4Szsjhr2vm8KYQfcww?si=ZEH9XeatSG2K-EDNVJ7Zcw&pi=dE3OS45YS9ONH
大学からの帰りのバスで告知を見て、千葉駅のくまざわ書店で買った文學界の11月号、千葉雅也さんと長嶋有さんの対談、まだ1/4しか読んでないけど、とても面白い。私小説のシーケンシャル性、ほくの小説の書き方に通じるところもある。小説を書いている人は是非読んでみてください。
文學界新人賞に間に合わなかったので、群像の方に出そうと思います。雑に書くのだけは避けたい。
https://blog.anafinds.anatc.com/n/na57a707289ed
half the world awayを聴いている。
https://open.spotify.com/track/6PtpFkrLhENVgOXziMpjli?si=lakaoIpnSMC0L-_5N-1UBA&context=spotify%3Atrack%3A6PtpFkrLhENVgOXziMpjli
ある日祖母が、夕方、家の外でぼんやりと蜻蛉を眺めている幼少の僕に、赤い服を着た人に連れていかれちゃうよ、と声をかけた。祖母は何かと、そういう怪談を僕に聞かせていて、そのせいで“オカルト”に対しての関心は持たなくなってしまった。赤い服の人さらいも昭和初期に拵えられた都市伝説に過ぎなかった。そんな稚拙な寓話でさえ、3歳ほどの子供に対しては、上手く機能したのだ。おそらく、平成の只中でその寓話を伝承しようとした人は、僕の祖母だけではないはずであると思う。 18:00を過ぎている