今日は十五夜で、寛はベランダに出て彼が住むアパートの大家が暮らす家の庭の「コスモス畑」を眺めていた。夏にはペチュニア畑になった。部屋の中に戻って読み終えていた『懐かしい年への手紙』を棚に戻した、唇に窓から入ってくる風が擦れた。2時間前に寛は姫乃とキスをした。少しだけ触れた彼女の左頬が常温の水のようで心地良かった。彼女は前髪が頬の上に触っていて、瞼を微妙に動かした。ぼくは額を近づけて、彼女の前髪をほんの少しかき分けた。指がカクカクとゼンマイ仕掛けの機械のようにしか動かないかっ
人工知能は、「理解」をしているのか?という話です。 是非、聴いてみて下さい。 https://youtu.be/KTMKcEuWTF0?si=8aRuAQVUtQw7TPrL
andymoriのグロリアス軽トラ。 スイカは分けることが出来る。
この短編は新人賞には関係ありません。
次は5ヶ月半後の新潮新人賞に向けて創作していきたいと思います。 あとで原稿を読み返してみたらし、第五章にふたつ脱字があることが判明しました。まあ、そこまで問題ではないですし、誤字脱字が数えるくらいでしかないのなら、普通に読めますし、落とされることはないので、心配はないですね。
原稿を送りました
あとは少し推敲する程度ですね。 タイトルが思い付かない…。
今回の小説に関係している楽曲を集めました。 https://open.spotify.com/playlist/6qUh4Szsjhr2vm8KYQfcww?si=ZEH9XeatSG2K-EDNVJ7Zcw&pi=dE3OS45YS9ONH
大学からの帰りのバスで告知を見て、千葉駅のくまざわ書店で買った文學界の11月号、千葉雅也さんと長嶋有さんの対談、まだ1/4しか読んでないけど、とても面白い。私小説のシーケンシャル性、ほくの小説の書き方に通じるところもある。小説を書いている人は是非読んでみてください。
文學界新人賞に間に合わなかったので、群像の方に出そうと思います。雑に書くのだけは避けたい。
https://blog.anafinds.anatc.com/n/na57a707289ed
half the world awayを聴いている。
https://open.spotify.com/track/6PtpFkrLhENVgOXziMpjli?si=lakaoIpnSMC0L-_5N-1UBA&context=spotify%3Atrack%3A6PtpFkrLhENVgOXziMpjli
ある日祖母が、夕方、家の外でぼんやりと蜻蛉を眺めている幼少の僕に、赤い服を着た人に連れていかれちゃうよ、と声をかけた。祖母は何かと、そういう怪談を僕に聞かせていて、そのせいで“オカルト”に対しての関心は持たなくなってしまった。赤い服の人さらいも昭和初期に拵えられた都市伝説に過ぎなかった。そんな稚拙な寓話でさえ、3歳ほどの子供に対しては、上手く機能したのだ。おそらく、平成の只中でその寓話を伝承しようとした人は、僕の祖母だけではないはずであると思う。 18:00を過ぎている
ちょうど三時間前から僕は手紙をしたためている。それでふと思った。キース・ジャレットが好きな奴に悪い奴はいないな、と。 手紙の内容とは全く関係のないことだけど、最近買った小説の著者のことを思い出していたらそんなふうに感慨していた。じっとしていられなくなって、僕は、キース・ジャレットのMy back pageという曲名を想起するまでに至った。それで、Spotifyで曲を検索したら、ボブ・ディランが先に出てきて、先にボブ・ディランの方を聴こうと思った。 Ah, but I wa
日本だったら100年前までは、僕たちは今のような時間感覚を持っていなかったんです。「過去は 過ぎ去っていく。死んだ人は永遠の不在になる」という観念は、実はなかったんですね。 死んだ人は、天に昇ったり地獄に落ちたりと垂直方向に移動するのではなくて、山の向こうに行く とか、海の向こうの島に行くとか、水平に移動するんです。だから、お盆の時に、火祭りをしてい ると、火を囲んでいる人の輪の中に(死んだ人が)いつのまにか入ってくる。もともとのハロウィン もそういうケルトの風習でした。