#2
ある日祖母が、夕方、家の外でぼんやりと蜻蛉を眺めている幼少の僕に、赤い服を着た人に連れていかれちゃうよ、と声をかけた。祖母は何かと、そういう怪談を僕に聞かせていて、そのせいで“オカルト”に対しての関心は持たなくなってしまった。赤い服の人さらいも昭和初期に拵えられた都市伝説に過ぎなかった。そんな稚拙な寓話でさえ、3歳ほどの子供に対しては、上手く機能したのだ。おそらく、平成の只中でその寓話を伝承しようとした人は、僕の祖母だけではないはずであると思う。
18:00を過ぎている。僕は、今、家に帰る途中で、スタスタと歩きながら、駅前に立ち並ぶ小さいビル同士の合間を、少しばかり見詰めて、その所為で不気味な心持になった。そうして浮かんだのが、赤い服を着た人さらいというイメージだ。でも、どこか安部公房のことも含まれて想起されたらしい。多分、僕の表情は顰めたものになっていたのだと思う。向かいから自転車が来る、乗っているのは女子高生だった。目線はしきりに上下をくりかえしている。タイヤにダイナモの歯車が擦れる分厚い音が、さらさらと過ぎて行った。
足が辛い。座りたいよ。スカート舞いすぎだろ!
僕はどんな馬鹿げた表情を人に見せているのだろう。不安になって堪らず視線を左側に向かわせた。ハンナ・アーレントのポートレート。そう思った。
その日は赤蜻蛉が空を覆っていた。僕は日陰から夕日に照らされる彼らを眺めていた。
― 偵察中に白い雲海に突入してしまい、高度を果てしなく下げ続けると、一面が青い世界だった。その上には無数の敵・味方の戦闘機が、列をなし飛んでいた。その列に吸い寄せられ、共に飛び続けると不安も焦燥も失せて行った。ところが、途中で列とはぐれ再び雲海に落ち、気づくと愛機は勝手に飛んでいたという。そのパイロットは、その後再び出撃して撃墜され、絶命の際に「おれは運がいい」と言い遺した。―
僕はその群れから降りてきた一頭の蜻蛉を、じっとみることにした。前に少し足を踏み出すと、蜻蛉はまたふわーっと戻っていった。そう思っていると、ふらふらと低空飛行を続け、やはりまた戻っていった。
ロアルド・ダールの『飛行士たちの話』の或る箇所が、今、あの空が蜻蛉に覆われた日のことを思い出すと、感慨深い。そうしてその内、小説にでもしようと、僕はメモをとろうと思ったが、それはやめて、歩く速度を上げた。
暫くして、横断歩道が目の前に見えるところまできたので、家までは、あと5分というところだ。信号のボタンを押そうとしている人がいる。僕は走った。
あの人、間に合うかな?まあ、押しても良いか。大丈夫だよな。
私の背後から自転車の甲高いブレーキ音がした。いつもここを通るお爺さんだ。
そろそろこの自転車も駄目だな。
自転車も来るのか曲がらないかな。
自転車は曲がることなくこちらに向かってくる。僕は、右に大きくまわって2人を避けた。