薄めた人生を生きる
薄めた人生を生きる
先日、友人から、100%果汁のりんごジュースをいただいた。
女房は、ゴクゴクとペットボトルのジュースをラッパ飲みした。
わたくしは、95CCの冷水に5CCのジュースを注いで作った果汁5%jジュースを飲んだ。
だから、100%ジュース1本で、果汁5%のジュースを20本分飲めることになる。
いただいてから2週間になるが、わたくしはまだ5%のりんごジュースを飲んでいる。
おいしいかって?
まあ、それは、それなりにおいしいよ。
人生は1本の果汁100%のジュースだ
何でも、全力でやる人がいる。
天才や英雄やヒーローや卓越した能力を発揮するタイプだ。
便所掃除一つ取っても、掃除のあと便器の水で洗顔できるほどきれいにする人もいる。
これは果汁100パーセントで生きている人だ。
そうかと思えば、便器にウンチがついたままで掃除を終わらせる人もいる。
こういう人は、きっと果汁零パーセントに近い人で脳足りんだ。
何事に対しても、100%の人は見ていて爽快。
こういう人の影響力は偉大だ。
100%の人の生き方は、不徳短くである。
短命であるけれど、本人はあまり気にしている様には見えない。
100%から0%まで色々な生き方があるけれど、庶民はどうしたらいいのだろうか。
わたくしの女房のように、天才でも英雄でもないが、ジュースの飲みっぷりは100%発揮するものもいる。
だがわたくしは、天才や英雄のマネなどしない。
平均的な庶民としての自覚をもっているので、5%ぐらいでいいと思っている。
5%くらいの薄めた人生だと、劇的な人生を期待することはできない。
大恋愛とか、東大入学はない、せいぜい頑張って職場結婚だし、大学も亜細亜大学くらいがちょうどだ。
100%の能力を発揮するのは辛い
学校時代のマラソンを思い出してみると、
100%の力を発揮しても、特に良い事はない。
ただつかれるだけである。
良い事がなにのに、なぜ人は走るのだろうか。
これは、他人が自分を見るときに、能力が低いと見られることが嫌だからか。
他人から、良く見られたい、こういうちょっとした見栄が人生の原動力になっているとしたら、
人はちょっと悲しいなと思う。
例えば、買いたいから買っているより、みんなが持っているから買っているのではないか。
健康ぶら下がり器のようなものは、自分の意志で購入をするより、周囲の人が持っていることの影響が大きい。
ステレオや、百科事典なども、見栄文化の遺産である。
ここでも見栄を100%発揮する人がいれば、まったく発揮できない人もいる。
普通の人は人並みの生活をすれば良い
並の生活なら50%位の力を発揮すれば十分だろう。
いやいやいつもの惰性があるから、30%でも大丈夫。
これでも十分すぎるくらい。
あんまり考えたりしないで、いつものことをいつも通りするなら10%ででも少ないわけではない。
長くなった人生を気持ちよく長く生きていくには、毎日の生活はほどほどが一番なのだ。
人間の生まれながら持っているものは違いはない
人間という容器の中に入っているものは、大体同じ。
要するに果汁100%のジュースのペットボトルと同じ。
内容にそうそう違いがあるわけではない。
問題は、一生のうちに、その内容物をどう使うかということ。
一気に使いきるか、それとも少しずつ使うか、はたまま5%に薄めて使うか、
人それぞれが、使い方が異なる。
昔徳川家康は、百姓に対して「生きぬように死なぬように」と言ったそうな。
自分の生き方も、この「生きぬように死なぬように」と同じくらいで良いかなと思っている。
もし、100歳以上生きるチャンスがあるなら、100歳の壁は乗り越えたい。
そにために無茶なことは、心身に大きな負担になる。
そこそこ元気でなくては、100歳は無理だろう。
100%出しきるのは、格好は良いけれど、その分無理が大きい。
5%のジュースでも満足できる生き方
果汁5%のジュースは、ジュースではない。そう主張する人はいる。
やっぱり100%ではないと、満足ができないそうだ。
満足というものは、難しい。
それは相対的な感じ方だからだ。
感情というものは、客観的な数字で表すことができない。
だから、満足も他人によって違う。
求める要求が高い人は、満足できないことが多いだろう。
反対に、要求をあまりしない人は、満足する事が多い。
必要なのは、感度を落とすことだ。
低レベルの生活でも、満足がえられるように、普段から贅沢な生活を避けるようにすることだ。
5%のイメージが想像できない人は、20分の1の生活を想像すれば良い。
つまり平均的な老後生活の20分の一で背活をすればいいということ。
例えば平均で月一回外食をするようなら、20ヶ月に一回外食をするようにすればいいのだ。
平均1年に一回程度旅行をしていたら、20年に一回程度の旅行をすればいいだけ.
そんなの、みみっちくてドケチで貧相な生活だと思えば、やめればいいだけだ。
あくまでも、薄い人生がテーマなので、理論的に薄い状況を作ってみただけ。
大切なのは、満足度である。
満足を学ぶ
最近のニュースで、卓球の福原愛さんと、もと旦那さんが泥沼の裁判をしていると聞いた。
インターネットの記事を読んでいると、結婚当初は1日に70回もキスをしていたという。
びっくりした。
果汁400%のジュースを飲んでいるようなものだ。
1日に70回キスをしても、満足できない夫婦生活とは、どんな感じなんだろうか。
どうも福原愛ちゃんは、100%の人ではなく、400%の人の様だ。
薄い人生がきっとたまらなく耐えがたかったのだろう。
ちょっと、こういうタイプの人を見ると、気の毒になる。
5%のジュースでは満足できなくなっているのだ。
心も体も、要求が高すぎるのだ。
学校では、満足を教えない。
欲望をどのように歯止めすればいいのかも教えてくれない。
だから、教えてもらわなかった言は、自分自身で学ぶしかないのだ。
老人になっても学ぶことは多い。
福原愛ちゃんから、多くを学ぶことができた。
ありがとう、福原愛ちゃん。
旗じいの話を、最後まで聞いてくれてありがとう。
満足を学ばないと、死ぬ間際まで、満足のできない人生を送ることになる。
ブランド品がなくても、ダイソーの品物で満足できることが、幸福につながるのかもしれない。
100%のジュースは、水で薄めて飲んだ方が、満足度は高いと思うよ。
ぜひ、薄めた人生を堪能してほしいね。