想像と理解とゆるすこと⑦
2022年12月。私は休職に入った。
父と妹に休職した旨を連絡し、介護施設からの第一連絡先を父に変更した。
その後は自分のケアに専念し、ひたすら寝た。
読書も大好きなBTSの動画視聴も音楽も何一つ楽しむ体力もなく、ひたすら寝た。
そして少しずつ少しずつ受信ができるようになり、身の回りを整えられるようになり、散歩に行けるようになり、友人と会えるようになり、四六時中夫と家にいることに耐えられなくなり、3ヵ月後に復職した。
今も介護施設からの第一連絡先は父のまま、母はあれから一度も入院していない。
母の認知機能はかなり低下している。もう父のことも妹のことも弟のことも認識できない。
半年前に面会に行ったきりだが、その時も父の事を不思議そうに、「この人だれ?」とでも言いたげな、子供のように怯えた表情でみていた。
だが定期的に面会に行く妹からの話では、「誰だかわかる?」と聞くと必ず「○○?」と私の名前を呟くそうだ。
嬉しいという感情は沸いてこず、呆れて笑ってしまう。
大学卒業時に、母親という生き物がなぜ窮屈な生き方をせねばならないのかを「母性神話」の視点から卒論にした。
当時の私は社会の「被害者」として母を見ていたからだ。
その視点は確かに間違ってはいなかったし、今でもその思いはあるが、だからといって母をゆるすことには繋がっていない。
私は母をゆるしたいのだろうか。
自分の育ちの話をすると大抵「腐っても親は親」とか「それでも育ててくれたのだから。」とか「そんな昔の事をいつまでも言っててホントに執念深いね。」とか、挙げ句の果てには「ホントは許したいってことでしょ?」と分析される。
許すとは、相手がそれを請い願ってこそ成立する行為ではないのか。
母がその行為をすることはもうないだろうし、たとえ認知機能が正常だったとしても、完璧を誇った母がそれを行うとは到底考え難い。
私はただ答えが欲しい。
なぜあなたは私にあのような呪いをかけたのか、なぜそれを選んだのか、なぜそうせねば生きられなかったのか。そして、それを選んだ自分を今どう思っているのか。
母から答えが返ってくることは決してないだろう。それが私は悔しい。
それが一番、悔しい。
私が自分で見つけるしかない。
問いの証明は私が解いてみせる。
儘ならぬ人生を、のたうち回りながら解いてみせる。
私にはあなたに無かった、人生を生きる胆力がある。
それはあなたがくれたものかもしれない。天賦のものかもしれない。でも確かに「あなたには無かったもの」だ。
私の人生を生きるために、私は私だけを慰め、癒し、ゆるしていく。
それがきっと証明になる。