想像と理解とゆるすこと⑩
半年ぶりに母の面会に行った。
今月初旬、母の友人からクリスマスカードが届いた。
私宛ではない、母の名前が記入された封筒に入っているであろう、クリスマスカード。
誰にも気付かれずに捨ててしまうこともできたのに、私はクリスマスギリギリまで迷いに迷っていた。
そして一昨日、重い重い腰を上げてそのクリスマスカードを届けに行った。
母は居室でベッドに横になっていた。見ているのか見ていないのかわからないテレビが「もうすぐクリスマスですね!」とうるさかった。
「◯◯だよ、わかる?」と聞いた私に、母は「わからない。」と答えた。
「そっかぁ、わからないかぁ。」
「お母さん宛にクリスマスカードをいただいたから、読むね。」と封筒を開けて文面を読み上げた。
暖かい、温もりのこもった文面に私は泣いた。
自分の名前が記入された封筒を見て、母は「◯◯◯子!」と読み上げた。
「自分の名前は読めるんだね、よかったよかった。」
居室にあるテレビを見ながら、もうすぐクリスマスであること、小さい頃はよくクリスマス礼拝に行ったこと、クリスマスはイエス・キリストが生まれた日であること、を母に話した。(母と妹、母方の祖父母はクリスチャン)
母は何もかも忘れてしまった様子で、ただ首を振るだけだった。
「下のリビングに行ってみる?」と私が聞くと、母が頷いたので、ベッドから起こした。
その時、母の洋服に食べこぼしの跡があることに気付き、悲しかった。
黙って服を交換した。
入居当時は車椅子だった母だが、今は手引き歩行が可能だった。
私の手を握り、1mもいかないうちに歩みを止める。そして、「まだ歩くの?」とでも言いたげな表情で私を見た。
「もう少し行ってみよう。」と声をかけ続け、だましだまし歩かせてみたが、エレベーター前に着くと首を振った母に、私は「疲れちゃった?」と聞いた。
幼子のように頷く母に、私は「ごめんごめん、疲れちゃったね。」と声をかけ、近くにあった椅子に座らせた。
そしてまた母の手を引いて居室に戻った。
以前、妹から母が時々他の居室に入ってしまうことがある、と聞いていたので「お母さん、ジュリーの写真が貼ってあるお部屋がお母さんのお部屋だよ?」と声をかけた。(母が沢田研二の大ファンだったということを、私は施設のケアマネさんからの情報で初めて知った。)
母はジュリーの写真には「ジュリー。」と反応した。
母との面会は1時間程度で終わった。
何を話しても「わからない。」と首を振り、「この人は誰だろう?」と不安げに私を見上げる母に、私は語る言葉を見失っていた。
話したい事は沢山あったはずだったが、それが何だったのか、そもそも今の母に、文字通り赤ん坊になったこの人に、私が長年抱えてきた複雑な思いを話したところで何になるのか。それが本当に私の望みなのか。それをして私は後悔しないか?
……もういいや。
母の居室から夕暮れの気配を纏った空が見えた。
「もうすぐ日が暮れるね。寒くなってきたからカーテン閉めるね?」
母は黙って頷いた。
「また来るね。」そう言って母の居室を出た。
「また」をいつにするかは考えていない。
母は、あの小さな悲しい空間で、決まったスタッフさんにお世話をしてもらいながら、あの窓の外を見るでもなく季節の移り変わりを感じるでもなく、ただそこで一日一日を生きていく。命が尽きるまで。
それを選んだのは、私だ。
後悔などしていない。その選択をしなければ、今の私も父も、母さえも、存在していなかったかもしれないのだから。
だから私はその選択によるこれからの全てを、後ろめたさと安堵と、悲しみと冷たさを、ただ引き受ける。
それができるのは多分、私だけだ。