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おもしろ韓国語教室(06)あるコンピュータ音痴の教授の逸話(役割語の話)
きょうは笑い話でウォーミングアップしましょう。タイトルは어느 컴맹 교수의 고민です。この文を読んで一発で笑えた人は「上級」です。
어느 대학에 컴맹인 교수님이 있었다.
하루는 바이러스가 먹었다고 119를 불렀다.
119대원이 컴퓨터를 조사하는데 파일명이 전부 독수리.hwp, 앵무새.hwp, 비들기.hwp......이런 형식으로 새의 이름으로 되어 있었다.
그래서 대원은“교수님께서는 새를 연구하시나 보죠?”
그러자 교수 왈 “아닐세. 사실 나도 그 문제 때문에 고민하고 있다네.
파일을 저장할 때 꼭[새 이름으로 저장]이라고 뜬다 말일세 이제 더이상 생각나는 새 이름도 없어서 말이야.”
どうですか,思い切り笑えましたか。
ファイルを新規作成して,保存の命令をかけたとき出てくる[새 이름으로 저장](新しい名前を付けて保存)を「鳥の名前(새 이름)」と勘違いして,ファイル名に독수리(ワシ)だとか앵무새(オウム)だとか付けていたら,これ以上名前が思い浮かばないと悲鳴を上げた「コンピュータ音痴」の教授の話です。
実際に韓国のコンピュータでは새 이름으로 저장ボタンを押すと,いろいろな鳥の名前が出てくるようになっているそうです。
さて,この教授の話の中に出てくる-ㄹ세ですが,これは이다,아니다などの指定詞の語幹につく終結語尾で,「~だよ」という感じの,年取った人が若い人に言う,情感あふれるやわらかい言い方です。
次の例を見てください。秘書と教授の会話です。教授が研究室に入ってきたとき,秘書に,誰かと聞かれ「わしだよ」と答えるシーンです。おそらくこの場合は,秘書は物音だけで,教授の顔は見ていないんでしょうね。
A (秘書):누구세요?
B (教授) :날세.
このせりふだけで,Aと Bのシチュエーションがわかります。このような言葉を「役割語」といいます。「役割語」は話者の特定の人物像(年齢・性別・職業・階層・時代・容姿・風貌・性格など)を想起させる特定の言葉遣いのことです。
次の例は,教え子と教授の会話です。
A (教え子) 교수님, 그 동안 안녕하셨습니까?
B (教授) 어, 김 군, 오래간만이네. 어서 오게. 무슨 일인가?
A (教え子) 다름이 아니라 이번에 제출할 졸업 논문 때문에 조언을 얻고자 왔습니다.
このBの教授のせりふを日本語に訳すと「おお,金君,久しぶりだね。よく来たね。どうしたのかね」と言った感じになります。年取った人が若い人に言う,情感あふれた言い方です。じゃあ,ここでみなさん,この後に続くせりふをちょっと考えてみてください。
教授は“세월이 빠르구먼. 벌써 자네가 졸업할 때가 됐나?”なんていうかも知れませんね。
-구먼は感嘆の形で,年配の者が同年配や年下の者に対して「~だのう。~なんだなあ」と言うようなときに使います。いかにも年を取った(またはその感じを出す)という印象があります。形容詞の語幹には-구먼,動詞の語幹には-는구먼,名詞の語幹には-(이)구먼が付きます。구먼は,あくまで相手がいることを前提しにした言い回しですので,ひとりごとでも口に出す-구나とは違います。
・몸이 몹시 약하구먼.〔体がずいぶん弱いんだね〕
・눈이 내리겠구먼. 〔雪が降りそうだな〕
・별일도 아니구먼.〔別に変わったことでもないな〕
さっきの教授のせりふですが“서서 그러지 말고 여기 앉아서 차라도 마이면서 이야기하세.”なんて言うかもしれません。昔,流行したセマウル運動の歌(朴正煕大統領作詞・作曲)の中にも出てきますね。살기 좋은 내 마을 우리 힘으로 만드세って。「みんなの力で明るい農村を作ろう」という勧誘文の形ですね。만들다はㄹ語幹ですから,만드세になるんですね。
・좀 더 참아보세.〔もう少し我慢してみよう〕
・찬은 없지만 같이 한술 드세.〔おかずはないけれどいっしょに食事しよう〕
・어서,앉세.〔さあ座ろう〕.
韓国語では,もともとこのような「役割語」は,日本語ほどは発達していません。
・참 오래간만일세.〔本当に久しぶりだな〕
・여기가 내 사무실일세.〔ここが私の会社だよ〕
・이 아이가 내 아들일세.(この子がわしの息子だよ)
・그 사람은 똑똑하기가 여간 아닐세. 〔あいつはとてつもなく頭が切れるよ〕
・내일은 손자의 돌날일세. 〔あしたは孫の1歳の誕生日だよ〕
・어머, 그게 바로 오늘일세. 〔あら,それはきょうだったわねぇ〕
・우리는 죽을 때까지 친구일세.〔われわれは死ぬときまで友だちだよ〕
最近は,-ㄹ세の使用は,絶滅危惧種並みだと言われています。いまやドラマの世界だけで使われているんじゃないでしょうか。現代社会では,成人に達したものをいつまでも下位者として遇しにくくなったことも,使われなくなった一因でしょうね。
「役割語」といえば,日本にいる中国人は「ワタシ,ワンさん,アルヨ」なんて言いますが,韓国のふざけた本を読んでいると,中国人は最後に~ 해.と言うんですよ。映画・ドラマ・小説などに登場する日本人は,韓国語の発音も文法も完璧なのに,語尾だけ-므니다だったり,빠가야로だけ日本語で言ったりもしますね。
そのほか,時代劇に出てくる言葉で,-는뎁쇼というのがあります。표준국어대사전には,말도 없이 가시는뎁쇼./다 먹었는뎁쇼./시킨 대로 했는뎁쇼.という例文が出ています。身分の低い商人などが使う語尾です。
日本語に訳すとすると,가시는뎁쇼は「お立ちになったでやんす」,먹었는뎁쇼は「食ったんでやんす」,시킨 대로 했는뎁쇼は「言われた通りにやったでごんす」といったノリですかね。
時代劇には나으리 저는 모르곘습니다요.なんて台詞も出てきます。나으리は,나리ともいい「ご主人様」と言った感じの言葉ですね。この場合はㅂ니다요/습니다요をどう訳すかですね。「~でげす」とか「~でごぜーますだ」のような感じなんでしょう。
このように「役割語」のほとんどは,時代劇や小説の中の言葉であって,現在の日常生活では,ほぼ死語と言っていいでしょう。鉄腕アトムの中に出てくるお茶の水博士は「そうじゃ,わしが知っておる」なんて言いますけど,実際には,こんな言い方をする老人なんて,お目にかからないですからね。