30年ぶりにタルコフスキー映画を観る
時間に余裕ができたら、もう一度じっくり見直したいと思っていた映画がありました。
アンドレイ・タルコフスキー監督の映画です。
「ノスタルジア」は30年くらい前に(確か)今は無きシネマアルゴ新宿のリバイバル上映で見ました。
今回DVDを購入し、久しぶりに見ましたが改めて感動しました。
今回はタルコフスキーと「ノスタルジア」の魅力について書きたいと思います。
1.アンドレイ・タルコフスキーと映画
【アンドレイ・タルコフスキー】
アンドレイ・タルコフスキーはソビエト時代のロシア人映画監督です。
亡命後、1986年にフランスで肺癌のため亡くなりました。享年54歳。
ソビエト政府と確執があったため、残した映画は8作品と寡作です。
静かで思慮深い、人間の内面を描いた作品がほとんどです。
1960年「ローラーとバイオリン」
1962年「僕の村は戦場だった」
1967年「アンドレイ・ルブリョフ」
1972年「惑星ソラリス」
1975年「鏡」
1979年「ストーカー」
1983年「ノスタルジア」
1986年「サクリファイス」
親交があった黒澤明がタルコフスキーの印象について語ります。
【映像表現① 水や火や音】
タルコフスキーは並はずれた感性で、自然の事物を使った独特の映像表現を使い、人間の内面にある苦悩を浮き彫りにしていきます。
映像表現では雨・霧・露・もや・川の流れなどの「水」や、ロウソク・火災などの「火」などのイメージを多用します。
「音」の表現は非常に繊細です。
川藻が揺らめく小川のコポコポしたせせらぎ・雨にあたって揺れる木の葉のかすかな音・旋盤で何かを削るような不協な音・壊れそうにキシんで開くドア・不意にチリンと一回だけ鳴る鈴の音・炎がボッと燃えつく音・遠くの方でかすかに吠えている犬・姿が無い天使と神のつぶやき。
【映像表現② 時間の中に永遠を刻印する】
そのような自然の事物を使った描写によって、本来相反するはずの「時間(常に移ろう現実)」と「永遠(常に変わらない不変)」を描き出し、見るものに独特のイメージを残します。
例えばこんなシーンがあります。
テーブルに置かれた丸い湯のみ茶碗をどかすと、テーブルの表面に、茶碗の底がつくった湯気の曇りが現れます。曇りは、時間とともに満月の形から半月になり、やがて消えていきます。
最後は湯気の曇りはすっかり無くなり、単なるテーブルの表面に戻ります。
映像の中に、目にしている時だけに表われる反復不可能な一瞬が刻まれています。
この湯気の曇りの映像は優れた俳句の読後のイメージに似ていると感じます。
【松尾芭蕉の俳句に感嘆】
タルコフスキーは松尾芭蕉の俳句に心ひかれていました。
【イメージの断片が累積されていく】
天井が抜けた廃屋に雨が降り込む空間では、注意して聴くと、雨音が「手前から奥へ」「奥から手前へ」と動いているのがわかります。
(これは作曲家の武満徹が指摘していました。)
映画を観るものは、一見シンプルな長回しのシーンに「熟視すること」「耳をそばだてること」が重要だと気付き、次第に映像に引き込まれていきます。
そして観るものの脳内には、さまざまなイメージの断片が累積されていきます。
【映画のテーマ】
タルコフスキーは若い頃から音楽・文学・美術などの芸術や、哲学、歴史、宗教に深く心を引かれ、そこから得た思考を映画に投影させています。
生真面目な彼がテーマにするのは、人間の使命、個人の罪や良心の呵責、記憶と郷愁、世界の終わり、自己犠牲による救済、生と死などです。
研ぎ澄まされた感性と知性は、数年先の自分自身の死をも、映画ノスタルジアの中で予言することになりました。
2.ノスタルジア
【ストーリー】
ロシア語のnostalgia(ノスタルギア)は「病に至る郷愁」を意味します。
ロシア人にとって故郷に戻れないことは、死に繋がるような強い悲しみであるようです。
主人公アンドレイ(オレーグ・ヤンコフスキー)は18世紀にイタリアに留学したロシアの音楽家サスノフスキーの資料を集めるためイタリア中部の温泉バーニョ・ヴィニョーニを訪れる。
雨が続き、アンドレイはホテルの部屋で故郷に残した家族の夢を何度も見る。
アンドレイは世界の終わりが来たと信じて7年間も家族と家に閉じ籠っていた町のアウトサイダーのドメニコ(エルランド・ヨセフソン)に興味を持ち、訪れる。
ドメニコがひとりで住む家は天井が抜け落ちた廃墟で、降り込んだ雨で地面が水浸しになっている。
ドメニコは「ロウソクの火を消さずに、広場の温泉場を渡りきることができたら、世界は救われる」と言う。
アンドレイは一度は帰国の準備をしたものの、ロウソクに火を灯し、水が抜かれた温泉場を渡ろうとする。
しかし途中で火は消えてしまう。
三度目にようやく成功したが・・・。
【郷愁が映画監督自身の宿命になる】
映画のストーリーと同じように「病に至る郷愁」がタルコフスキーの残された生涯の宿命になりました。
ノスタルジアが公開された翌年の1984年にタルコフスキーは亡命します。
1986年に遺作となる「サクリファイス」を発表し、その年のうちに肺癌のため亡くなります。
ノスタルジアを撮り終えた後から、ロシアに帰ることはありませんでした。
【印象深いラストシーン】
なだらかな丘に建つロシアの小さな家に(恐らく絶命したであろう)アンドレイが飼い犬と一緒に丘の下の方を見ている。
手前の水溜りにサンガルガノ大聖堂が映ってカメラが引くとそこはイタリア。
さらに、静かにロシアの雪が降り始めて映画は終わります。
30年ぶりに映画を見返してみて、このラストは、映画の冒頭のシーンに繋がっていることに気付きました。
絶命したアンドレイの視線は故郷の丘の下にいる家族に向けられているのかもしれません。
【ラストシーンが冒頭のシーンにつながる】
映画の冒頭では、何かを察知した家族全員が憑かれたように小さな家から飛びだし、下の窪地におりて、無言で辺りを見回しています。
ラストのアンドレイの視線はおそらくこの光景を見ていると思います。
しかし四人は、違う世界に行ってしまったアンドレイを見つけられず、呆然としながら彼の死を予感します。
お互い違う世界に隔てられてしまった「もう二度と会えない」悲しみが、ロシア人が言うところの「ノスタルギア(病に至る郷愁)」なのかもしれません。
この映画の冒頭シーンでは女性が唄う、どこの国の言葉かわからない不思議な民謡の独唱が流れます。
起用された意味合いが気になったので調べてみました。
最後に【音楽家は作曲する】
映画「ノスタルジア」は武満徹や坂本龍一ら音楽家が非常に好みました。
タルコフスキーの映画は芸術家にインスピレーションを与えるようです。
ふたりはそれぞれノスタルジアという曲を作りました。
・武満徹
1987年「Nostalgia ~In Memory of Andrei Tarkovsky」。
・坂本龍一
2009年「nostalgia」。アルバム「out of noise」に収録。
最後に武満徹のインタビュー記事を引用します。
今回は映画監督のアンドレイ・タルコフスキーと映画「ノスタルジア」をご紹介しました。
個人的には日本人の感性にとても響く映画だと感じています。
ご興味が沸いて来ましたらぜひ鑑賞してみてください。
続けて、武満徹、坂本龍一の「ノスタルジア」も味わって頂けたら嬉しいです。