ガキ大将はどこへ行った?

 昔、子ども達は異年齢で遊ぶのが当たり前だった。私が子どもの頃、50年ほど前は、3歳くらいから小学6年生までの子ども達が集まって遊んでいた。男子に人気だったのは馬乗りや缶蹴り。女子はゴム跳びやカカシ。大人数が集まった時は三角ベースや城盗りなど。夏休みには、クワガタムシを獲りに山を駆け回り、田んぼに行ってはドジョウを捕まえていた。小さな子は、大きな子の後にくっついていただけだったが、それでもそれなりに楽しんでいた。
 そして、集まった子ども達をまとめていたのは、いわゆるガキ大将だ。子ども達が集まって何をして遊ぶかは、ガキ大将の意向が優先される。私が育った地域では、ガキ大将はその時集まった子ども達の中で、一番年長の子がなる決まりだった。だから女子の時もある。女子がガキ大将になった場合は、当然女子が楽しめる遊びをする。そのため、必ずしも自分が遊びたいものにならない場合もあったが、大人しくみんなで遊んでいた。なぜかと言うと、下手に逆らったりすると、明日から遊んでもらえなくなるからだ。そのような訳で、小さな子にとってガキ大将の意見は絶対だったのである。まあ、たまに年長者の間で意見が対立して、集団が別れることもあったが…。
 このように、ガキ大将は子ども達の中で絶大な権限を持っていたが、同時に責任も負っていた。何か事故やトラブルがあったら、全てガキ大将が責任を負う。万一何かあったら、「お前が付いていて何事だ!」と親に全力で叱られた。そのため、ガキ大将は小さな子の安全に対しては特に敏感で、ちょっとでも無理だと思ったら絶対にやらせなかったし、勝手な事は絶対させなかった。ガキ大将の意見は絶対だったので、小さな子はダメだと言われたら大人しく言うことを聞いていたのである。
 さて、もうお分かりだと思うが、これらの集団は子ども達だけの「社会」を形成していたのである。そしてその中で、子ども達は様々なことを学んだのだ。「遊び」という文化の継承はもちろん、長幼の序、リーダーとしての責任、安全に対する意識と知識、ルールは守れなければならない事など、本当の社会に出た時に最低限必要な事が、一通り学べる環境が存在していたのである。
 大人達はそれが分かっていたので、基本的に子ども達には不干渉だった。それに、みんなで遊んでくれれば安全だという意識もあった。とにかく、当時の大人達は仕事で忙しかったので、勝手に遊んでくれるのはとても助かったのである。ある意味、子ども達を信頼していたと言えるかもしれない。
 ところが、最近は異年齢の集団で遊ぶ子どもの姿をとんと見なくなった。集団で遊んでいても、大抵同年齢の場合が多い。しかも、一緒にいるにも関わらず、ゲーム機で通信ゲームをしていたりする。隣にいるのにも関わらず、ゲーム機を通して会話をしているのである。今時の遊びと言えばそれまでなのだが、これではまともなコミュニケーションができなくなるのではないだろうか。
 私は、子ども達の「社会」がなくなりつつある事を寂しく思うと共に、子ども達の未来がとても心配になる。以前存在した学びの場がなくなるのである。これからの子ども達は、どこでそれを学ぶのだろうか? 考えられるのは、幼稚園、保育園、小学校などだ。ただ問題なのは、教えられる学びではなかなか身につかないことだ。自らの意思で継続して体験できる環境がないと、すぐに忘れてしまうだろう。
 日本は諸外国と比べ安全と言われているが、最近は子ども達が巻き込まれる犯罪や事故も目立っている。かつての日本のように、子ども達だけで遊べる環境は、ほとんど無くなってしまったかもしれない。しかし、未来の子ども達には、そのような環境こそが本当に必要なのではないだろうか。子ども達が自ら考え、体験し、学ぶことができる環境が少しでも残ることを、私は願ってやまない。


いいなと思ったら応援しよう!