【#83】過去の自分に勉強する意味を伝えたい
学生の頃の自分は、勉強が大嫌いだった。「こんな数式どこで使うのか?」という難しい数学の問題や、ほぼ使うことのない英語を勉強するのが、本当に苦痛で仕方なかった。勉強なんかするくらいなら、ゲームをしているほうがよっぽどいい。勉強するより、ゲームをするほうが効率的に、自分の欲求を満たせるからだ。
しかし、今はゲームより勉強のほうが楽しい。もちろんゲームは今でもするし、小学4年生の頃から続けているモンハンは、この先も続けようと思っている。でもどちらか片方しかできない状況だとすると、僕は勉強できる環境を選ぶ。
「勉強が楽しい」なんて思う日が来るとは、5年前の僕なら思ってもみなかっただろう。今回は、「勉強嫌いだった、過去の自分」に送る内容として、記事を書いてみる。
勉強する意味なんて理解できなかった
冒頭でも言った通り、昔の僕は勉強になんて興味がなかった。勉強が嫌いだったから、卒業後すぐに就職できる工業高校を選んだ。工業高校といっても、それなりに勉強はしたが。
「社会人になれば、嫌な勉強から解放される」、「言われたことだけやっていれば、給料がもらえる」「受験勉強なんて真っ平ごめんだ」と思いながら、大学受験する人たちを、冷ややかな目で見ていた。そんな意識だから、社会人になってからも勉強なんてしない。
資格はいくつか取得したが、それはあくまでも「給料が上がる」というメリットがあったからだ。仮に、資格を取っても昇給昇格に影響しないのなら、おそらく資格を取らなかっただろう。そんな無駄な勉強するくらいなら、大好きなモンハンをやり続けるほうが幸せだ。
そのような勉強とは無縁の社会人生活を、3年9か月続けて、僕は新卒で入った会社を辞めた。
会社を辞めてから知った、勉強の意味
会社を辞めてからは、アフィリエイトとYouTubeで生計を立てる予定だった。今思い返せば、「なんと無計画なことか」と恥ずかしくなる。それなりに努力した気はするが、結果としては、どれも鳴かず飛ばずで終わった。
アフィリエイトとYouTubeで生計を立てる計画は、あっけなく終了したので、当然就職しなければならない。アフィリエイトブログをWordPressで作る際、HTML・CSSを少しかじっていたため、就職先は未経験者も募集しているWeb制作会社に絞った。
十数社ほど面接を受けたが、なかなか内定が出ない。「前職辞めてから空白の期間が空き過ぎているからか?」「アフィリエイトやYouTubeで結果を出せなかったからか?」と考えるが、どれも違う。内定が出ない理由は、とても簡単だ。「自分で勉強する姿勢」がまったくなかったからだ。
未経験で雇った人が、業務を覚えて一人前になるまでには、ある程度時間がかかる。雇う側としては、一日でも早く戦力にしたいので、当然自分で勉強する人を採用したくなる。自分で勉強する人のほうが、勉強しない人と比べて成長スピードが速く、短時間で一人前になれるからだ。
この考え方は、未経験者を募集している会社であれば、業種・職種関係なく、持っているだろう。そうでなくても、単純に「勉強する人としない人、どちらがよいですか?」と質問すれば、誰でも「勉強する人」を選ぶはずだ。
未経験者を採用している会社は、求職者の「自分で勉強する姿勢」や「指導を素直に受け入れる性格であるか」などを、採用基準として評価している。仕事のスキルは、後からいくらでも教えられる。だが、「自分で勉強する姿勢」や「素直かどうか」というのは、性格の問題であり、簡単には変えられない。そもそも社員の性格を指導するのは、本来会社の仕事ではないのだ。
新卒ならまだわかる。社会人経験がなく、右も左もわからないのだから。ただし当時の僕は、3年以上の社会人経験がある。にもかかわらず、「勉強することの大切さ」が、全然身についていなかった。勉強は「自分の能力を高める」だけでなく、その姿勢自体も評価の対象となる。
それに気づいてからは、職務経歴書の内容、面接での自己アピールを大きく変えた。学習する時間を増やし、勉強の成果を面接で見える形にした。おかげで、二次面接にも進みやすくなったし、内定を出してくれる会社も少しながら増えた。
「社会人になれば、嫌な勉強から解放される」なんてとんでもない。むしろ社会人になってからが、勉強の始まりだ。
「なぜ勉強するのか?」がわからなければ、勉強に意味はない
勉強が嫌いな時期、好きな時期の両方を経験して言えることは、「なぜ勉強をするのか?」を理解しなければ、勉強する意味はないということだ。
勉強に対して苦手意識のある人は、「将来何の役に立つかわからない知識を、なぜ学習する必要があるのだろう」と思っているのではないだろうか。たしかに、そう考えるのは、ある意味普通だし、合理的でもある。
学校で勉強する難しい数学の問題も、英語のリスニングも、一見すると役に立たないように見える。しかし本当に役に立たないかどうかは、社会に出てからでないとわからない。
そもそも学生のうちは、今得ようとしている知識が、「将来どのように役立つか」を想像できない。だから「プログラマーになるわけじゃないから、数学は不要」とか「外国に行かないから、英語は不要」という、短絡的に考えに陥ってしまう。
「プログラマーにならなくても、経営をするなら、数学は必要になるかもしれない」「外国に行かなくても、海外の人と仕事で取引するなら、英語は必要になる」と仮でもいいから、勉強する理由をつけてみる。そうすれば、今の勉強にも、十分意味があるのではないだろうか。
理由がないままする勉強と、明確な理由を持ってする勉強では、同じ時間を費やしても、結果に大きな差が生まれてくる。同じ勉強するなら、得られる成果は多いほうがいい。これを学生の頃に知っていれば、僕の人生は変わっていたかもしれない。
「勉強すれば、良い学校や良い会社に入れる」なんて抽象的すぎる言葉では、勉強することの意味を見出せない。もっと具体的でわかりやすい例が必要だ。それをわかっているのが、大人であり、それを伝えていくのが、「大人の役目」ではないだろうか。
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