その夢、叶うよ。
「みんなと一緒」っていう安心感。たくさんの人の中にいることのあったかさ。それって違うと気付いて求めるひとりだけのセンターポジション。怖がりな自分が怖かった場所に立ったって話。
・ひとりって怖いよねー
・バックダンザーって楽だよねー
・センターに立つ方法
ひとりって怖いよねー
「みんなと一緒」ってだけでその輪に溶け込んでいるって思って生きてきた。いや、仲間外れにされたくないから一緒にしたっていうのが本音。
高校に入学した時、僕はワンタッチで止められるネクタイを買ってもらった。その方が簡単に取り外しできるし便利だと思ったからだ。
でも、すぐに従来の巻くタイプのネクタイをせびって買ってもらった。周りがそのタイプ一色だったから。ひとりだけ別のネクタイをつけているのが嫌だったから。いや、嫌というよりも怖かった。”ひとり”っていうこと自体が。
みんなと違うとそのことに何かしら言ってくる輩はいる。その輩がどうしても怖くて、ま、言ってくる輩は学校でも会社でも周りから厄介だと思われている人ばかりだけど。
振り返れば、「みんなと一緒」ってことに仲間意識や友情なんてたいしてなかったのになって思う。
バックダンサーって楽だよねー
みんなと一緒だからって「一緒だね!仲間だね!」って即席の関係なんて生まれない。生まれないのに生まれたように演出する奴は大体にしてよくわからないものを抱え込む詐欺師みたいな奴だ。
大人になると、何かしらの「一緒」は仲良くなるためのきっかけにはなる。あくまで”きっかけ”にすぎないけど。
こう考えると、学校ではみんな一緒が良いよみたいな”一色教”的な思想は変だし、何なら今となっては具合が悪い。
みんな”幻想の仲間”から外されたくないし、何か自分に変にフォーカスされることを極端にビビる傾向にあると思う。
つまり、バックダンザー的ポジションを好む。ホントはセンターに立ちたいにもかかわらずね。
センターに立つ方法
センターには魔物がいるとでも思っているのかな。全然いないのに。いるのは「自分を輝かせてくれる神」と「多々耐える必要性を唱える神」のふたりだけ。
センターの人はひとりだけ違うデザインの服を着ていたりするでしょ?そして、バックダンサーは同じ服を着ているかどうかさえ確認している人がまずほぼいない。
さ、なれるならどっちを選ぶ?
夢でも良い。どっちがいいかってこと。叶えるとか叶えられるとかじゃなくて。
僕はセンターに立ちたかったけど、違う服を着る勇気がなかった。バックダンサーでいいやって自分で勝手に可能性に蓋をした。
きっと、このタイプの人がほとんどな気がする。悶々と自分の可能性を抱えて、結果それを抱え続けて疲れてしまう。降ろす場所を見つけられないが故に。
その悶々としている時間、それ、変化させることが出来るよ?頑張れってそんな単純な言葉で応援しても多分無意味だからしないけど。
自分の興味のある場所に身を置くこと。興味があるかどうかわからない時は少しでも目に引っかかった場所、ネットでも雑誌でもいいから他のページよりも自分の滞在時間が長かったところを少し掘り下げてみる。
僕はそれが”BAR”だった。そこでアルバイトを始めてみた。接客なんてこれっぽっちも得意じゃなかったし好きじゃなかったけど、そこにいる自分はきっと恰好良いと思ったから見切りも見切りで始めた。
僕が思う”センター”がそこにはあると思った。そして、今、思う。
センターだけど、まだまだ輝きが足りないと。センターに失礼だと。ま、立てただけマシかなって感じではあるけどね。
まだまだいけるぞ。