必ず自分に返ってくるから「意識くらい高く持て!」
(読了時間:約1分30秒)
昨日遂に購入した一冊の書籍。
「死ぬこと以外かすり傷」 著:箕輪厚介
「意識くらい高く持て!」ってホントにね。
ただのほほんと生きていても何ら生活は滞らないですし食いっぱぐれることもないです。ただ、常に自分をアップデートし続けることでしか感じることのできない自分の成長というのはただただ快楽でしかないんですよね。
逆上がりが初めてできた夜の公園。
自転車の補助輪を取っても走れた日曜の夕方。
志望校に合格したことを知った掲示板の前。
これらすべての瞬間に歓喜を上げたわけですよ、人っていうのは。
僕は経済ニュースとかIT関連のニュースを見るのが好きなんですが(←昨夜はIT関係者との飲み会だったので非常に有意義な時間でした)、こういった情報を仕入れるだけでも他の人とは違って視点でものを見ることができるようになりますし、単純に憧れの人の言葉や見解一つで街中を歩いている時もただボーっとスマホから流れる音楽に浸るのではなく「人の動き」とか「広告」「店舗デザイン」とかさまざまな箇所が気になって落ち着いていられなくなります。
「意識高い系」って言葉は毎日の刹那的な快楽に溺れている人からのアンチテーゼであって、「そんなことして楽しい?」「大変じゃない?」「遊んだほうがよくない?」と陰で言われているようなものです。
そもそも誰だって好きなことにたいしては「意識高い系」なんですよ。
好きなアーティストの本名とか生年月日とかに詳しい人、いますよね?
美味しいイタリアン、お洒落なカフェにやたらと詳しい人、いますよね?
誰だって「意識高い系」という言葉に加担しているのに社会情勢だったり未来の話、つまり小難しいとされる話題に頓着すると途端に「面倒」とか「よくわかんない」とか言って距離を取りたがるんです。
そして「意識高い系?」とか言っちゃって小さくディスる笑。
知らないことの方が100倍怖いんです。知ってる方が100倍幸せなんです。知ったことが嬉しいんです。知ったからこそアウトプットできるんです。
「自分、意識高い系です!」と僕は堂々と人に言えますし、それで何か大きな功績を残してわけじゃないんですけどそれは後から誰かがつけてくれるものなのかなとも思ってます。
「意識暗い高く持て!」ば、自分を常にアップデートし続けることができるんです。なので僕はスタバでパソコンを開いてます笑。