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古代インドの考え方から 最上のリセットとは?

人生は一本の線のようにみえるけれど、その線を間近で見てみると、実は小さな点の連続なのかもしれない。

上原寺のパンフレットの住職紹介欄には、住職の好きな言葉として「リセット」という言葉が掲載されている。

「カタカナ?」「普通はなにかしらの仏教用語じゃない?」という違和感はさておき、最近この「リセット」という言葉が個人的にアツい。

お寺でのリセットというと、なにか人生における大きな失敗や悩みに押しつぶされそうな時に、神仏の力を借りてゼロからスタートする。そのようなリセットが想起されるように思う。実際にそういったケースもあるけれど、これからする話はもっと気軽で、私たちは毎日リセットしていて、そのことを改めて見つめ直し、認識するとラクに生きられるのでは?という話。

さて、空前の「サウナブーム」が象徴しているように、みんなどこかで心や身体や頭をリセットしてスッキリしたいのだと思う。
リセットされたフレッシュな状態で日常を過ごすことはとても重要だ。そして、その方が断然得をするように思う。

例えば、目の前の出来事を過去の経験による補正をかけることなく、ありのままに新鮮な気持ちで受け止められる。
何にも縛られず自由で奔放な小学生のように素直に刺激を受けることができる。
いつも上機嫌で、スポンジのようにあらゆることを吸収することができる。

前日のなにがしかを次の日に引きづらない。持ち越さない。負の感情などは放おっておくと腐敗する。過去に縛られず、未来の不安にさいなまれること無く、今を生きることにも繋がる。

では、日常におけるリセットとは具体的に何なのか。答えはカンタン。
「寝る」ことだ。毎日、私たちがしている睡眠こそ最上のリセットだと思う。

等置=ウパニシャッドとは?

ここで、古代インドの考えを紹介する。古代インドでは自然の動きを人体の機能と等置する考えがあった。これを「ウパニシャッド」と呼ぶが、たとえば、太陽が登ると陽の光でものがみえるようになる。一方で眼を開けた時もいろいろなものがみえるようになるから、太陽=眼というように等置される。

このようにして、風=呼吸、水=精液、大地=母胎と、自然現象と私たちとのあらゆる対応関係が見いだされている。そして、この中でも特に重要視されたのが太陽の「運行」で、太陽は日の出とともに生まれ、日没とともに死に、次の日にはまた再生するとも考えられていたそう。大自然と自分たちを等置した古代インド人は、特に、この太陽の「運行」から、「死んでもまた生まれ変わる=輪廻する」という観念を徐々に醸成していったそうです。

太陽の運行と共に「毎日」自分は死んで生まれ変わっていて、その繰り返しが生きるということ。

このことを踏まえ、解釈の幅を広げていくと、毎日の睡眠に対する考え方、太陽という存在への認識も変わってくるように思う。

寝ることは最上のリセット方法で、誤解を恐れずあえて言うならば「毎日きちんと死んでいるか?」ということにもなる。良いことも悪いことも次の日には持ち越さない。私たちは太陽の運行とともに死に、太陽の運行とともに新しく生まれ変わっているのである。

誰しも思い当たる節があると思うが、「初日の出」や「ご来光」を拝む時、太陽はいつも通りの運行であるのに、私たちは特別な体験をしているように感じる。新しく生まれ変わるような感覚となり、「新しい一日」の始まりが身に染みる。
その心持ちを忘れずにいるならば、素晴らしい点(日常)が続くように思う。

それでは今回はこのへんで。

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