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どうやらやはり”自分ごと”は大切らしい。

こんばんは。

_____にまつわるエトセトラ 共同代表の三宅です。

実は僕たちふたりは普段、それぞれに地域コーディネーターとして「総合的な学習の時間」の授業で高校の教育にも関わっています。今日はその中で僕が「どうやらやはり”自分ごと”は大切らしい」ということに改めて気づいたことについて。


(ちなみに”自分ごと”というと、以前にこんな記事も書いています)

与えられた時間をいかに過ごすか

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さて僕が今回”自分ごと”について改めて大切だと感じたのは高校での授業の時間。この時間は高校から生徒に与えられた時間とも言えるでしょう。(あるいは授業料を支払っているという観点では”買い取った時間”とも言えますね)そしてこの時間の遣いかた次第では多くのことを学べたり、逆に学べなかったりするわけです。

自分が高校生だった頃を思い返すと、案外真面目に授業を受けていた覚えがあります。決して優秀な成績だったとは言えませんが勉強自体嫌いではなく、むしろ新しいことを知るのは好きだったので、どの教科も好きでした。

ですが気まぐれに、友人たちと一緒に隠れてゲームをしていたのも覚えています。当時の僕は”自分ごと”を意識していたわけではない(言葉として知っていたかどうかも定かではない)のですが、「自分の人生、無駄な時間にしてしまってはもったいない」という思いから毎日を積極的に過ごしていたように思います。

そしてその頃からおよそ10年たったいま、自分の人生だけでなく他人の人生も無駄な時間にしてしまってはもったいないと感じるようになってしまいました。だから僕の関わる授業中に、なにをしたらいいか分からず困っている生徒がいたら手を差し伸べたいし、足踏みをしているようであれば背中を押してあげたい。わずかでも実りの多い時間を過ごしてほしいという想いがあります。その人に与えられている時間をいかに過ごしてもらうか。そのことを考えながらいつも授業に臨んでいます。

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”自分ごと”で自由になれる

とはいえ生徒たちには生徒たちの人生があり、それぞれに重きを置いていることも違います。重ねて部活に勉強に学ぶことの多い時期ですので疲れが溜まっている生徒も多いように感じています。授業へ取り組む姿勢も様々。

そんなとき気になるのが「授業なんだからこれくらいでいいや」と、妥当な回答を用意してその場を過ごそうとする姿勢です。

少し解説をすると、現在総合的な学習の時間に地域のことを学ぶ高校が増えてきています。地域の抱える課題を研究したり、高校生の立場で解決策を考え、実行したりとそのあり方は高校によって変わってきますが、答えのない問いに挑んでいることに変わりはありません。僕が高校生だった頃には無かったもので、必死に取り組む姿は純粋に尊敬します。

話を戻すと、答えのない問いに挑んでいるため、生徒の取り組みにも正解も終わりもありません。そこがおもしろくも難しいところなのですが、手を抜こうと思えばいくらでも抜くことができます。あるいは手を抜いているつもりはなくとも、立ち止まってしまっている場合もあります。

今日話をしていた生徒たちも、壮大なテーマの前になにから手をつけたらいいのかいまいち分からないまま、でもこれが答えなんだろうというイメージから提出物を用意していました。正解なんてないので、それ自体間違っているとは思いません。ですが、彼らの顔を見ているとどこかつまらなさそうでなんとかしてあげたい気持ちに。

よくよく話を聞いてみると、「どうせ自分たちがやってもなにも変わらない」という想いがどこかにあったようで、それならこんなことに時間を遣うのも馬鹿らしい、という考えのようです。

この考えかた、なんとなくわかる人もいるのではないでしょうか。僕もよくわかると同時に、高校生という可能性に溢れた時期にこう考えるようになってしまう環境に疑問を抱きました。こんな社会でいいんだろうかと。


ですが、生徒たちも本当はどこかで社会に期待しているし、なにより楽しいことをしたいと思っているようで「できるかどうかは後から考えたらいいから、まずは自分たちがどうしたいか、なにを変えたいかを考えてみたら?」と問いかけたところ、少しずつ、少しずつ話は盛り上がっていき、顔つきも変わっていったように見えました。そして授業の終盤には「この街をこうしたい!」という意見を出すことができました。与えられた問題を自分ごととして捉えることのできた瞬間です。つまらなかった授業を”自分ごと”として考えられるようになり、ただ与えられていただけの時間から開放された瞬間とも言えるでしょう。

そしてこの時の彼らの表情の変化は、僕にとってとても印象深いものでした。

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さて、僕らはどれだけのことを”自分ごと”として考えることができているでしょうか。

どれだけのことを、「自分にはどうしようもないことだ」と片付けているでしょうか。


やはりこれらには正解がありません。人それぞれの価値観です。

ですが、まずはこの問いを”自分ごと”として考えてみてはいかがでしょうか。



今日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。

大雨に関しても”自分ごと”で、自分にできることから動いていきます。


 ーCreditー 

文章・写真 / 三宅康太

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