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mnk0000
精神疾患になったからこそ見えた幸せ
私たちは日常生活の中で死を意識している人なんてごくわずかだと思う。
闘病中の方や周りの人が亡くなった方、ご自身が生死の狭間を彷徨った方、物語から考えさせられた方
他にも様々な所から死を意識しながら生きている人はいると思うが、大体の人は当然のように明日が来ると信じて疑わない。
私もその1人だった。
高校2年生 夏 精神疾患になった
毎日苦しい辛い悲しいという感情があることを呪った。
こんなことなら感情なんてなくなればいいと思った。
明日なんて来なければこんな思いをしなくて済むのだろうか。いつになれば普通を取り戻せるのだろうか。
はじめて考えたことばかりだった。
私は散歩をするようになった
すると木の葉が散る頃、道端にコスモスが咲いていた。
毎年通学で通る時に見かけていたのに、その時のコスモスに感動した。
強く根を生やして生きていた。
次に空を見た。決して晴天とは言えないほどの曇り具合をした空は垣間見える青を引き立てていた。
だんだん雲が流れていって時間の流れを感じた。
もしかしたら今日感情をなくすかもしれない。車が信号無視をしてぶつかってくるかもしれない。無症状であっても大きな病気にかかっているかもしれない。今細菌が入っていて目が見えなくなるかもしれない。
どこか現実味がないまま頭の中で考えていたことが本当にすぐ近くにある気がした。
道端のコスモスもたんぽぽのわたげもお腹が空いた時の一口目も暖房の効いた部屋で食べるアイスも朝起きて開けたカーテンから差し込む朝日も
全て愛おしくて眩しくて綺麗だった
だから私は日常の中にある幸せに気づくことを大切にしていこうと思った