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「頑張れない」は「頑張れる」より辛い

中学生の頃、周りから見た私はキラキラしていた。
勉強も一位ではないけど上の方。
部活も一年生の時からレギュラー入りして団体で優勝。
学年で一番ではないと思うが、結構モテた。
いつも笑顔の私は、後輩からの手紙に尊敬してますって言葉がたくさんあった。
だけど、どれもこれもフラフラ生きてきて良い結果になったわけじゃない。
そこには努力がたくさんあった。
親にも心配されるくらい勉強をしてない。ように見せていた。
部活はいろんな想いがあった。小学生の頃から始めたスポーツだからレギュラー入りは当然だったけど、同じ頃から始めた子は団体だけじゃなく個人でも優勝してた。
日常では周りから見える自分を常に意識して全ての行動言動に気をつけていた。
何かの一番になれたことはなかったけど、自分を素敵だと思えていた。

そして、高校に入学した。
市内では一番の高校。
もちろん皆んな頭いい。その上性格も良い人が多い。
今までと同じじゃ自分に自信が持てなかった。

もっともっと頑張らないと。

まだこれじゃ足りない。

少しでも普通の人になりたくて。あわよくば普通より少しだけすごい人になりたくて。

必死に取り繕って無理をした。
自分でも無意識のうちだった。

だんだんと心と体が悲鳴を上げ始めた。

1週間、ほぼ何も食べれなくなった。

部活中に過呼吸になった。

時には担架で運ばれた。

吐き気と頭痛と倦怠感が常にあった。

夜寝れなくなって気づいたら明るくなってた。

寝れても朝は疲れが取れていないまま起きた。

それまで私の中での「普通に頑張る」ということが出来なくなっていった。

キラキラどころか、普通にさえなれなくなった。

小学校も中学校も風邪とインフル以外一度も休んだことはなかった。早退だって小中合わせて2回ほど。
それが、早退と欠席合わせて、たった一学期で119限も休んでいた。
それまで親ともそこまで激しいぶつかりはなかったのに学校を休むことに対してや、病院に行っても良くならないことや、精神科や精神疾患に偏見を持つ母と明らかに精神疾患の娘では争いは避けられなかった。

学校を休んでも母に怒鳴られるので心は休まらない。
学校を辞めようかと思った。
だけどお昼休みになれば先生の目を盗んで電話をかけてくれる友達がいたので少しだけ保留にした。

全てを知っていて敵じゃない人は父しかいなかった。
だけど父は単身赴任で、といっても週末には帰ってこれるほど近い。
しかし週末じゃ意味がない。
学校は平日にあるのだ。
その時家にいるのは母だ。父じゃない。
父が病院を探してくれて、遠いとこに行ったり近くのところに行ったり。
それでも良くならなかった。

毎日吐くようになった。

しかし、ある日のこと。
母の要望通り、内科に見える精神科がある病院を父が見つけてくれた。
それでも母は勇気がいったそうだが、電話するやいなや今から来てくださいと言われたらしいので、行くしかない。

その病院が私の人生を変えてくれた。
薬がとても良く効く。
それまで何ヶ月も体調が悪くない日はなかった。
1日中ずっとどこが体調が悪かった。
なのに、処方された薬を飲むと元気な日ができた。
だんだんと回復してきた。
ずっと順調なわけではなかったが、少し進んでは戻って進んでは戻っての繰り返しで、だんだんと変わっていった。

今もまだ回復の途中だが、現時点で変化したことは、人と会話が出来るようになった。人の目を見れるようになった。笑えるようになった。ペンが持てるようになって授業中や、テスト中に視界がぼやけることはなくなった。そして、勉強を頑張れるようになった。
課題も出せず、授業中も当てられないようにして、テスト勉強も出来なかった私が、今は遅れながらも課題を提出したりしなかったり、テスト勉強を頑張ったりだらけたり。
だんだんと元の自分になってきていた。

今日、父と話した。

「頑張るって大変な事なんだけど、頑張れないあの頃の方がよっぽど大変で辛いから、今は楽しい」

そう伝えた。

「ある程度でいいんだよ。後回しにしてもいいんだよ。自分のペースでゆっくりでもいいんだよ。」

そう言ってくれた。

私の通う自称進学校は国公立の大学を目指せって雰囲気で、あの頃の私には苦しかった。
だけど父は、お金はどうでもなるから私立でもいいとか、今は無理だったら浪人してもいいとか、大学行きたくないなら行かなくてもいいとか。たくさん言ってくれた。人生どうにでもなるって考えの父からは、全て本心で言ってくれてるのがわかった。

母は浪人は嫌でしょとか、大学行かない人ってこの学校から年に1人くらいしかいないらしいよ、そんな恥ずかしい思いしたくないよねとか。

私のことを心配してるんだって伝えたくれるけど本心はきっともう一つある。わかっていた。

私は私立に逃げようとしていたけど、今はすごいところじゃなくてもいいから国公立目指そうかなって思ってる。

あの頃の私は、きっと怠けてるようにも見えたと思う。
授業中寝るし、テストで問題を読むこともせず記号で選ぶところだけ適当に選んでおしまい。
部活も試合前以外ずーっと休んで、自転車通学なのに車で送ってもらうようになって。
ぼーっとしてるし笑顔少ないしノリ悪いし。

だけど私は、「頑張れない」自分と戦っていた。
毎日毎日、時間が経つのをただ待つことしか出来なくて、生きる意味を考えてしまって、何もないことに気づかないフリをしていたけど、それも出来なくて。
何かをしたらその代償が大きくて、だから無理に体を動かすことも出来なかった。
朝起きて、体が動かなくて、いつまで寝てるのって怒鳴られる。
だけど動けないんだ。どうにもこうにも手足に力が入らなくて、座ることすら出来ない。
怠けてるように見えてほしくないのに、動けない自分がいて、母が仕事に行った後は吐き気でトイレに籠っていた。

あなたの周りにもいませんか。

本気で頑張ったら出来そうなのにって人とか、前と明らかに違う人とか、毎日授業寝てる人とか、時々休むけど学校に来る時は異様に元気な人とか。

その人たちに何してんだよって思うかもしれません。
だけど、その人たちはもしかしたら戦っているのかもしれない。心が悲鳴をあげて泣いているのかもしれない。
そう考えてみると、前よりその人たちに優しく接される気がするんです。
そしてその優しさの中の何かがその人の心の傷の絆創膏になっているのかもしれない。

「頑張れない」ことは戦っているってことなんです。
戦いには武器が必要で、勝つには戦略や兵力も必要です。
それは「頑張る」ことで得られる達成感や成功体験とは全く別のものです。
戦いには勝ちと負けがあって、勝ったとしてもまた別の戦いが待っている。
それがどれだけあるかもわからないし、もしかしたら負けてまた同じ戦いをしなきゃいけないかもしれない。
そんな険しい中を生きているんです。

「頑張れない」は「頑張れる」より辛い。

私はそう思います。

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