障害者にも、生理はある【#生理の話ってしにくい】
「生理をオープンに語ろう」
最近、生理についてメディアで取り上げられることが増えてきました。でも、その話題の中でいつも、「存在を忘れ去られている」人たちがいます。
障害がある女性たちです。
私は、NHKで「バリバラ」という番組を担当しているディレクターです。
今回「障害がある人の生理」をテーマに、番組を制作しました。そこには、障害がある女性たちが抱える、生きづらさがありました。
彼女たちのこれまでの経験を取材してみると、「生理は恥ずかしい」とか「語ることは、はしたない」とか、そんなこと言ってる場合じゃない。と強くショックを受けました。
番組制作の過程で感じた思いを書いてみたいと思います。
障害者にも生理はある!!
私は、自身に障害も無ければ、障害がある人と関わりを持ったこともほとんど無い、いわゆる“健常者”のコミュニティーで育った人間です。
そんな私が「障害×生理」というテーマに出会ったのは、およそ2年前のこと。当時入局2年目のディレクターとして、初任地の大阪で、ニュースリポートの制作に励んでいました。
日々、テーマ探しに奮闘する中、ある話題を耳にします。
「最新の生理グッズを販売するお店が、大阪の百貨店に誕生!」というもの。
へ~。
最新の生理グッズ?
しかも百貨店?
なんか、おもしろそう。
単純な興味にかき立てられ、取材を始めることに。すると、生理グッズの目新しさはもちろん、百貨店で堂々と生理グッズが売られている、そのメッセージ性に、どんどんひかれていきました。
「生理は隠すべきものでも、恥ずかしいものでもない」というメッセージです。
毎月の生理のたびに、ナプキンをこそこそ隠し持って、トイレへ行く自分。
自身の中に埋め込まれた「生理を隠さなきゃ」という強い意識に、どこかで生きづらさを覚えていた私は、このメッセージに救われるような思いがしました。
取材にのめりこんでいった私は、このテーマで、ニュースのリポートを制作することにしました。
そのとき、ある出会いがありました。
生理グッズを売っているお店の店員さんに、車いすユーザーの方がいたのです。脳の損傷が原因で、幼い頃から下半身にまひがある女性でした。
取材の合間、女性と何気なく会話をしていたときに、こんな話を聞きました。
ん?
障害がある人の生理…?
障害者の、生理。
言葉では理解できるけど…。
正直、全然イメージがわかない…。
生理については自分も経験しているのに、それが「障害がある人の生理」となったとたん、頭の中が突然「?」となった自分。
聞けば、悩みはたくさん。車いすにずっと座った姿勢が続くので、ナプキンがどんどんずれていき、経血が漏れる。
車いすで入れる「多機能トイレ」が見つからず、外出時にナプキンを取り替えられない。
対策としてオムツを使うが、経血を上手く吸ってくれず、お尻が荒れに荒れる…。
なるほど、そんな大変さがあるのか。
ひとつひとつ、発見した気持ちになりながら、同時にショックを覚えました。
私は大学時代にジャーナリズムやフェミニズムを学び、社会問題や差別問題に関心を持って、この仕事を選びました。
中でも、「女性」「ジェンダー」といったテーマは、いつも関心の中心にあります。知識も問題意識もそれなりにあるはずだと、思っていました。
でも、全然分かってない。
意気揚々と「生理をオープンに!」とか言ってるけど、障害がある女性の生理と聞いて、思考が停止する自分。
そもそも、私の「生理がある人」像の中に「障害がある女性」の姿が、まったくイメージされていませんでした。
制作したニュースリポートを見返しても、生理の「主人公」には、“健常の女性”しか登場していません。
無意識のうちに、生理というテーマにおいて、障害がある女性たちの存在を無視していたのです。
そんな自分に気づかされ、ショックを受けました。ガーンという感じです。
そこから、「障害者の生理」をテーマに、取材を始めることに決めました。裏には、生理という話題から障害がある人を排除していた、そんな自分自身への反省があったと思います。
「子宮を取りなさい」
取材を進める中で、「このテーマで番組を作りたい」という思いを強くするきっかけになった出来事があります。
24歳の、重度障害がある女性を取材した時のことです。筋肉が萎縮する難病があり、24時間の介助を受けて生活しているその女性。
ナプキンの交換や下着の着脱など、生理ケアの介助も必要としていました。
「生理の悩みを教えてください」と聞くと、こんな答えが返ってきました。
「子宮を取りなさい」
これは、障害がある女性たちが、実際にかけられてきた言葉です。
かつて、「生理介助の負担を軽減する」という目的で、多くの障害がある女性たちが、「子宮摘出手術」を受けさせられた時代がありました。
わずか20数年前まで、障害者施設などで、広く行われていたことが指摘されています。背景には、こんな社会の視線がありました。
障害がある女性を、女性とは見なさず、また権利がある人間とも見なさない。そんな社会のまなざしが、障害がある女性たちを追い詰めていきました。
▼かつて、法を根拠に、障害のある人へ強制不妊手術を行っていた歴史があります▼
24歳の女性が言ったのは、まさにこのこと。
そして彼女にとって、これは決して、“過去のこと”ではありませんでした。
その方は実際、家族から、似たような言葉を言われた経験がありました。
実家で暮らしていた中学生のころ。
介助の負担を一身に背負っていたおばあちゃんが言った、言葉です。
「私に生理があるのは良くないこと。そんな風にどこかで思ってきた自分がいる」とも、話してくれました。
これが、私と同世代の、障害がある女性から見た、生理の景色でした。
障害がない女性で、「あなたには生理いらないよね」と言われたことがある人は、どれだけいるでしょうか。
少なくとも私は一度もないし、そう言われることへの、リアリティもありません。
でも、そこに危機感を持って生きなければいけない女性たちが、現実にいます。
この差はいったい何なんだろう。なんでこんなに、見ている景色が違うのか。私に障害がなくて、彼女に障害があるから?
でもそれは、実際何の答えにもなっていません。取材のあとも、ずっと自問を繰り返しました。
そして、障害がある女性が、こんな生きづらさを抱えていることに、多くの人が気づいていない、とも思いました。それまでの私も含めて、です。
でも「知らなかった」「気づかなかった」と言ってしまえること自体、どれだけの特権なのか。
同世代の彼女と出会って、私は自分に対して、そう思わざるを得ませんでした。
「生理は恥ずかしい」とか「語ることははしたない」とか、そんなこと言ってる場合じゃない。
見過ごされてきたこのテーマを伝えたい、そう思うようになりました。
共感と、見えない壁との間で
取材中、私は常に、自分自身の立ち位置に葛藤していたように思います。
障害がある人も私も、生理のしんどさや煩わしさを、毎月同じように経験している。
「語りづらさ」や「恥ずかしい」という感覚も、経血が漏れた時のショックも、共感し合える。そういう意味では、同じ経験を共有できる、仲間でもありました。
同時に、「見えない壁」があったとも思います。
「障害がある女性」と「障害がない私」との間に存在する、大きな壁です。それは単に、手足が動く・動かない、みたいな違いのことではありません。
社会の中にあるまなざし、また私の心の中にもある、“バリア”とも呼べるものでした。
だって、「生理いらないよね」なんて言われたことがない私が、障害がある女性たちが背負ってきた傷を、簡単に「理解できます」とは言えません。
分かったふりもできないし、痛みを想像しても、やっぱりそれは、想像の域を出ないのです。
同じ女性で、同じ生理という経験をしているのに、そこには、簡単には越えていけないような、見えない壁がありました。
でも、今回出会った女性たちは、その壁を前にして、ただ立ちすくむだけではありませんでした。
自分たちが感じる生きづらさについて、知ってほしい。障害がある女性たちが、安心して生きられる社会にしたい。
そのために、私は声をあげる。
そうやって、行動することを選んでいく女性たちでした。
私はいつも、その姿に背中を押されていたように思います。
大きな壁は確かに存在します。でも、壁の向こうから発せられる声を聞き、その声から学ぶことはできる。
時には、壁を挟んで互いに語り合うこともできる。そうやって見えなかった壁の存在に気づき、その壁をどうしたら低くできるのか、一緒に考えていくことはできるかもしれない。
障害がある女性たちとの関わりの中で、私はそんな風にも感じていました。
こんな、共感と、壁と、壁を越えてつながりたいという願いの間で、悩みながら番組を作っていきました。
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番組は、Eテレ「バリバラ」で11/18(木)・11/25(木)の2週連続で放送します。
明るく、元気に、タブーをぶち破っています。
障害がある人も、ない人も。
女性も男性も 、どちらでもない人も。
ぜひご覧いただき、一緒にタブーを破って、考えていただけたらうれしいです。
「バリバラ」ディレクター・藤井幸子
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