「死と身体」を読んで

著者である内田氏が、武道から現代思想を行き来しながら、コミュニケーションについてを論じる、というのが本書です。「わかりにくいまえがき」から「人間はどうして、わざわざ話を複雑にするのか?」という問いが提示され、そこから、著者の思考が展開されていきます。コミュニケーションをストロースの「贈与」と関連づけ、そして、「夢の文法」と広がっていき、人間性とは、その都度、新しい人間に生まれ変わる、という提示。「できるだけ話を複雑にする」ことで、触発され、読者の中にある枠組みを問い直す。そして、考え続ける。そのことで、人間であり続けることができる、という視座は、非常に、その通りだな、と思いました。

「表現が割れる」という点の武道からの解釈、そして、そこから、得られる考えは、その捉え方も面白いな、と思いました。表現が割れることで、素人には1の動きが、実際には100のスケールで捉えられる。故に、体感的なイメージが存在する。「記憶は運動的なものである」というベルクソンらの思考につながり、脳と身体という二元論から脱却していきます。時間軸の意識的な動き、そして、そこから自分が捉える世界。他者とのコミュニケーションと続いていきます。二元論の中間に存在するもの。それを見て、簡単な捉え方をするのではなく、「話を複雑」にし、ひたすらに、問い続ける重要さを知ることができる、独特な内容でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?