「弱いロボット」を読んで

一人では何かをできない「弱いロボット」という、一般的に想定する「一人で何かをできるロボット」とは違ったロボットとは、何ものなのか、ということを実例とともに見ていく、という内容です。一人では何かをできない「他力本願なロボット」が、ロボットを取り巻く他者と環境に、どのように作用するのか、他者と環境から、どのように作用されるのか、ということを、様々な例、考え方を紐解きながら、述べていきます。

話の発端は、東北出身の著者が東京から関西に異動になり、関西弁のボケとツッコミの雑談に圧倒された、というところです。ここから、何気ない雑談とは、何だろうか、という疑問から、雑談の雰囲気を作れないか、と思い、ロボットを作り始めます。ジャンケンで負けて、音声認識の研究を始めた、という著者の一連の話は、ここから始まりますが、「アシモ」に衝撃を覚えて、考えは深まっていきます。

雑談、という、自己と他者との関係性を「賭けと受け」という点から開始し、「場」というものを掘り下げていきます。自分の発話を相手が受けてくれるだろうか、という「賭け」と、相手がそれを「受け」て、言葉を返す、という、発話において「対峙する関係」から、相手を自分に重ねて、対等な「並ぶ関係」となるのに、変化を与えるものは、何なのか、という、場を構成するものが挙げられていきます。自己と他者との関係を媒介するものの存在など、指摘されると、「確かに、これって、そういう働きをするな」と、考え直されます。

本書で述べられる「弱いロボット」とは、「弱い」故に力を持ったロボットなのだと、読み進めることで感じました。自己完結しない、他者を必要とする「ソーシャルなロボット」の力は、ロボットの可能性だけでなく、人の可能性も広げるのだろうな、と思いました。

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