「人類学者の落語論」を読んで

「語り」の文化を切り口に、落語への愛を語り、アフリカの言技の文化を眺めていく、という独特な内容の本です。著者と落語の出会い、そして、落語との関わりを振り返りながら、著者の落語への愛、落語論を述べていく前半と、アフリカの落語、語りの文化(特に、多く話を再録した西アフリカ内陸サバンナ地帯のモシ社会の文化)を見ていく、というのが、大きな本書の構成となっています。前半で語られる著者と落語の関わりは、戦前、戦後の落語の流れのようなものが見えて、とても興味深かったです。

「同じ噺を何度聞いても面白いのはなぜ?」という題で始まる節での著者の考察は、考えさせられる内容で、ここをもっと読んでみたいな、と思いました。著者が述べているように「答えを出すのが難しい問い」(P.53)ですが、ここの掘り下げを、もっと聴いてみたいな、と感じました。モールの考察やメイヤーの「傾向とそれからのズレ」を挙げつつ、著者が「中毒現象」というものに注目した、という点が、意外な着眼点で興味深く感じました。これは、噺の演戯性という部分は、この「中毒」という現象と結びついて、重要になる、というのは、確かに、と納得しました。

第2部では、アフリカ、モシ社会の語りの文化、「言技の座」を眺めていきます。聴き手が話し手にもなり、座での話が生まれていく、という点を、面白い空間だな、と感じました。話し手の語りを聴き手が引き受けたり、といった双方向的に語られる、という「協話」(P.112)という概念。これは、座が自主的、偶発的に形成されることで、その場の共同体に、皆が話し手として、そして、聴き手として、参加することで生まれる雰囲気のようなものだな、と思いました。

「アフリカの落語」も、読んで、クスリ、と笑えたり、日本の文化との違いを感じたり(逆に、これは日本の文化でもそうだな、と同じに感じたり)と、非常に面白い内容でした。これは、話しとして聴く、と、また違う面白さなのだろうな、と思いました。

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