「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」を読んで

よくあるジョークとして、ドイツ人は生真面目、だとか、そういう類のものがあります。単なるジョークであれば、そこにそれほどの意味を求めず、通念として、そういう傾向があるらしい、というくらいで認識すれば良いでしょう。ただ、そこから一歩踏み込んで考えようとすると難しい問題になってきます。何が原因となって、ドイツ人は生真面目だという性質を得たのか、を説明できなければいけません。どのような世界観(=世界をどのように知覚しているのか)なのか。こういうことを考えて行った時に、言語の影響はあるのか、という疑問が出てきます。そんな「言語が世界の見え方に影響しているのか?」という疑問に向かい合ったのが「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」という書です。

本書は、過去の論説を、その時代の背景を含め、解説を行い、「言語が世界を切り分ける方法」を見ていく第1部と言語が思考に影響することを見ていく第2部で構成されています。

第1部は、「ホメロスの描く空は青くない」というところから話が始まります。ここから、過去の論説が述べられていきます。(現代からすると間違った論だが)当時の一般的な見解としては正しいと見做されていたことが、どういう発見から覆されていったのか、という語りは、非常に読み応えのある内容です。ホメロスの描く空が青くないのは、ホメロスの社会の慣習による制約である、ということが明らかになるまでの長い道程と紆余曲折は、非常に面白いです。

第2部では、世界の様々な言語を示しながら
・自己中心座標系を使う言語と、地理座標系を使う言語
・言語が近くに影響する脳の仕組み
といったものを述べていきます。ここは「言語は思考に影響する」ということを見ていく内容です。過去に、同じことを述べる言説(多くは、よく考えれば荒唐無稽な内容)はあったが、その理由は大きく異なる、ということを掘り下げていきます。母語による制約で、ある特定の表現を使う習慣が強制されます。それにより、心的習慣が形成されます。最新の知見を基に冷静に、そして、雄弁に語る文章は、心躍ります。知識という泉に、どっぷりと浸る気持ち良さを味わえる内容です。

「言語が思考に影響する」ということを知るのは、自分が何かについて考えるとき、自分の思考の結果を検証する際の材料になるのだろうな、と思いました。そこには、知らなければ見過ごす影響というものが潜んでいるのでしょう。

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