「老いと死をめぐる現代の習俗」を読んで

佐々木陽子氏による老いと死をめぐる問題を習俗から考える一冊。現代社会において、死を語るとき、我々は近代科学における合理性から語ろうとするが、そこには人間の実感や本音が抜け落ちているのではないか、という著者は語ります。その実感や本音を拾い上げるために、著者は習俗という人間の行為を取り上げます。老いと死にまつわる習俗として、棄老、ぽっくり信仰、お供え、墓参りを見ていきます。これらの習俗からは、この世とあの世、生者と死者の関係、非合理な存在である人間というものが描き出されます。ここでは、現代社会が規定する「合理的な人間」「一貫した理念や思想を持った個人」ではない、多様に揺れ動く人間の姿が浮かび上がってきます。これらの習俗の実態として、どのような行為が行われるのか、そこからどのようなことが考えられるのかを調査から省察します。そこでは、多様な死生観の中で揺れ動く個人、あの世をどう捉えるのかという揺らぎのようなもの、死者と生者の間に存在する関係、死者とは誰のものかという問いなど、合理性だけでは語ることのできない、人間の持っている揺らぎや弱さが鮮明に見えてきます。習俗行為は、近代科学の合理性からは、その非合理性が愚かしく見えるときもあります。ですが、その非合理性の中に、人間の感情の割り切れなさが深く刻まれています。習俗から見える人間の姿は、語られることのない本音が垣間見えます。そこには、近代科学で扱われない人間の本音が見えてきます。

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