「言葉の魂の哲学」を読んで

書籍情報: http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000195634

「ゲシュタルト崩壊」として知られているように、言葉をじっと見ていると、その言葉が意味を失い、ただの線の集合に見えてきます。反対に、見知らぬ言葉を、その意味を眺めながら、例文を見ていると、その言葉が表情を持ってくる。本書は、そのような言葉が表情を失う時、言葉が表情を宿す時、「言葉の魂」を考えてます。

第1章では、「文字禍」「チャンドス卿の手紙」を挙げ、「言葉から魂が抜ける」ということは、どういうことなのか、を考えていきます。文字を媒介に現実を捉える、そのため、ゲシュタルト崩壊をきっかけに、「言葉の魂が抜ける」ことで、自分と世界との親密さが失われていく、ということが述べられています。

第2章では、ウィトゲンシュタインの言語論を中心に、「魂ある言語」を考えていきます。言葉を理解する、ということは、どういうことなのか、ということを掘り下げていきます。理解をする、ということの2面性。つまり、ある言葉を別の言葉に置き換えることができる、という面と、ある言葉を別のどんな言葉に置き換えたとしても、「しっくりこない」という面です。「言葉の場」と表現される、ある言葉をきっかけに類似の言葉に広がっていく、言葉の多義性。本書でいう「言葉の立体的理解」の実践から、言葉の多様な側面(まさに言葉を立体として捉える、という理解)があることが分かります。そして、言葉は、生活という文脈の中で、言葉の多様な側面を渡ることで、言葉の輪郭を掴むことができる、と、その重要性を説明します。

第3章では、カール・クラウスの言語論から、言葉に対する責任を述べていきます。カール・クラウスの「言語批判」から、言葉とは「思考内容を伝達する」という側面と「言葉自体が形をなす」という側面がある、という考えを紹介します。後者の側面を、人工言語の批判を通し、強調します。「しっくりこない」という感覚を頼りに言葉を探す時、ぴったりの言葉が不意に訪れる。それが、言葉自体が形をなす、という側面であり、クラウスは「創造的必然性」という言葉で説明します。

クラウスが強調したのは、そのような言葉を選び取る、という責任の重要性を述べます。「しっくりこない」という違和感を大切にし、言葉の場を迷い、ぴったりの言葉が訪れるのを待つ、という言葉の実習を継続していくことの重要さを説きます。

「言葉を選び取る責任」というのは、現代社会で重要な責任だと思いました。ソーシャルネットワークなど、言葉を簡単に発信できる社会だからこそ、その言葉に対し、どこまで真摯になるためには「言葉を選び取る」、その行為はどういうことなのか、それを知らなければならないと思います。そのための考えを本書は示唆してくれていると感じました。

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