「つかふ 使用論ノート」を読んで

哲学者の鷲田清一氏による「つかう」という言葉を様々な観点から考えた一冊です。「使う」「仕う」「遣う」とも記述できる「つかう」という言葉の意味する広がりと、現実での「つかう」という言葉の表出する場を比べながら、考えていきます。また、「使う」「使われる」という関係から、使用、所有という概念まで「つかう」という言葉を広げて考えていきます。レヴィ=ストロースの提示したブリコラージュ(器用仕事)が見られる道具の使用の場。器用仕事が示す偶然性、道具の転用、道具との対話。これを実現するためには、何が「使える」かという判断が必要になる、という指摘は、「つかう」という語が消費社会で失われているのではないか、という展開につながっていきます。器用仕事というキーワードから、身体を使った技術の熟練の考え、武道における「はずし」など、反動という作用を考えます。この中に見えてくる「使用の過剰」という状況は何だろうか、ということを様々な「つかう」から、その姿を描き出していきます。そして、「つかう」という言葉が、現代社会でどのように捉えられるのかを考えていきます。「私」と「他者」という関係において、使うものの関係は、どのように見えるのか。言葉の「使用」というものは、どのように捉えるか、を考えていきます。使用と所有という考え。そして、私という存在と他者。「つかう」という探究のプロセスが、どのような動きを持つのかということを述べます。本書は、私たちの存在を立て直す道の入り口を切り開く一冊ではないかと思いました。

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