「葬いとカメラ」を読んで

人類学者の金セッピョル氏とアーティストの地主麻衣子氏による「葬い」とそれを「撮ること」「記録すること」を、人類学者、アーティストが討論した内容をまとめた一冊です。「死」という誰もが直面する現象と、「葬い」を他者である人が「撮ること」「記録すること」の戸惑い。人類学者とアーティストの議論における視点の違いから生まれるすれ違い。本書は、討論の中では、これらのことが浮き彫りとなり、それはなぜなのか、ということも考えさせます。変化していく葬いをどのように捉えるのか。記録することの暴力性。異なるものの見方をするが故に、討論にはズレがあります。制作されるものが、論文、研究報告などとなる人類学者と作品となるアーティストの違い、そこから交わされる意見の違い。本書は、「葬い」と「撮ること」という語りにくいものについて、作品を見ながら語ることで、設定されたテーマについて討論が進んでいきます。「葬い」を「撮ること」の意味とは何なのか。暴力性とは何なのか。議論の進み方で提示される視点の違いや方法論の違いは、議論の幅が広がり、跳躍する瞬間を生み出しています。互いに影響を受け合って、より思考が深くなっていく討論を終わっての議論での展開は、議論の中での疑問がある程度クリアにさせていました。現代社会での「死」を考えていくことの意味を考えさせられる一冊でした。

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