思考=社会の常識。それが外れて第二の人生がはじまる。
思考を止めたら今度は小学生になっちゃった。
考えなしに突っ込む小学生。
毎日踊って過ごせたら満足の小学生。
その通りで、まさにそれを求めて内観してきた。
なんで、それじゃダメなの?って疑問が湧いてきた。
ただ踊って、みんなで笑って生きてたらいいのに、なんで、みんな嫌なことを頑張ってしてるの?
好きなことだけしてればいいじゃん。
文明の進化なんかしなくたって、幸せじゃんか。
みんな、何が欲しいの?
なんでもあるじゃん。
何でそんな一生懸命なの?
何を目指してるの?
もう幸せじゃん?
幸せ以外になんか欲しいものあるの?
なんもいらなくない?
そう思うのはいけないことなの?
高望みしなきゃいけない?
何かをまっとうしなきゃいけないの?
振り出しに戻った。
子どもの頃自分にかけた、ちゃんとやらなきゃという言葉の呪いを解いたのだけれど、そもそも、その先に何もなかった。
もともと、なんの夢も持たない子だった。
なんかまわりが公務員だの研究者だの言ってるから、じゃあそれでという子だった。
だから、僕は、このタイミングで子どもに戻り、さらに子どもの時に本当に好きだったことをみつけてライフワークをみつける旅に繰り出したんだろうか。
そんなことしてる時間なんかこれっぽっちもないのだけれど。締め切りは迫ってる。時間の暴力がそろそろ使えない。
僕は、自分にかけた思考の呪いを解いたと思うんだけれど、解いたはいいけれど、その目標が達成されて、自然体の自分に戻った今、
次の目標や夢への手がかりが何もない。
勉強だけはやりたくないと腹を括ったところでやるしかないのだけれど。
たぶん、過渡期なんだ。
次のステップに上がるか上がらないかの曖昧な時期なんだ。
なんてわかりやすい過渡期なんだ。
全く先が見えない。
どっちに転ぶんだろう。
今日、無理して勉強してみた。
拒絶する体を押し除けてやることに慣れすぎて、体も心もボロボロになった。たったの1時間くらいでボロボロになった。
抗わずに抗うことが今は大事なんだと思う。
真剣に自分と向き合って、目を逸らさずに、嫌なもんは嫌だけど、こうしたらどうかな?
終わったらピアノ練習しよう?勉強してる人のライブ見ながらだと楽にできるね?60分やったら60分遊んでもう一回やる?
試行錯誤して、その先に、たぶん、自分らしい何かが待ってるんだと思う。
試行錯誤。自分との対話のやり直し。
どうしたら嬉しい?楽しい?
その繰り返し。
やっと僕の人生がはじまるんだね。
お母さんに気に入られるため、学校の先生に怒られないためにだけ注いできた思考回路がやっと止まって、そこに100%使っていたエネルギーが余って、僕に使えるようになったんだ。
さあ、どうしたい?
寝る?
したいことをしたらいい。
何をしたらいいかもわかってる。
もう、制限はないんだ。
さあ。
お手本なんかないよ。君の人生だ。
君にしか作れない。
やってごらん。
今なのかよと叫びたくなるほど課題の山に埋もれそうな時に、僕の第二の旅がはじまる...
最高かよ...
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?