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自分自身がハートをオープンにしていく。
自分がされて嫌なことは相手にしない。
これに尽きる。
相手によかれと思ってやることは結局のところ〝私〟がよかれと思っていることだ。
相手は「ありがとう」を言うかもしれない。
しかし相手にとって本当にありがたいことかもしれないし実は迷惑な話かもしれない。
結局のところ相手の中は分からないのだ。
職場で施設長、主任と3者面談があった。
老人介護施設で働いて3か月が経った。
私の所属している部署は看多機。
看多機とは看護小規模多機能型居宅介護。
「訪問介護」と「小規模多機能型居宅介護」
を組み合わせたサービスで「通い」「泊まり」
「訪問介護」「訪問看護」サービスを提供している。
その中で介護士をしている。
「3か月経ちますがどうですか?」
施設長が尋ねた。
自分自身の思っていることを素直に話した。
以前働いた病院施設とは異なり、
利用者さんに寄り添ったサービスを提供していることが私にとって働きやすく、いい施設で仕事ができていることを話した。
以前働いた病院施設は利用者さんのほとんどが退院できる見込みがなく希望がなかった。ある女性利用者さんが言っていたことが忘れられない。
「出られへんのやろ。私閉じ込められているんやろ?」
彼女は毎食ご飯をあまり食べられなかった。
食事を食べ、元気になっても病院から出られない。
何を目標に生きればいいのだろうか?
希望があるから人はやる気が起こる。
食事を食べない。
残すと点滴になる。
口から栄養を取れないので
点滴で栄養を取るらしい。
点滴を刺すのも血管が細いせいか
痛がっているのを何度も見た。
「点滴したくない。痛いわ」
と怒っていた。
看護師さんは点滴をしたくないから
食事を勧める。
私は小学生の時に給食すべて食べられないと休み時間を遊べない居残りで給食を食べる子供を見たような感覚を覚えた。
自分に置き換えて辛くなっていた。
その経験があり、今の職場がとても心地良く感じる。
私は利用者さん、スタッフ、目の前にいるすべての人と仲良くしたいと思っている。
ハートをオープンにして話すこと。
話すことで思い込みが外れる。
相手の中を真に理解することはできないが
自分自身の思い込みや癖を知ることができる。
施設長、主任の見た目がきつく見える。
怖そうに見える。
過去の私の思い込みだ。
「昔の私だったら絶対に話さない2人です。
北斗の拳のラオウみたいなちょっと怖い感じ」
「ぜんぜん怒ることはないよ。改善したいので言いたいことがあれば話してほしい」
と2人が話した。
「スタッフの距離感が遠い感じがします。介護士、看護師の何とも言えない溝を感じます」
施設長が主任に対して私に言いたいことはないかと促した。
「利用者さんといつも話してくれているのはとても助かっている」
主任から直接言われたことがなかったので
何を考えているのか分からなかった。
何も言われないから私のことが嫌いなのではないか?
そう思っていた。
みんなと仲良くしたいと思っていながら
無意識で主任を避けていた。
私もコミュニケーション不足だったと気が付いた。
私はこう思います。
私はこう思っています。
自分の考えを素直に言う事。
丁寧に伝えることだけが重要なのだ。
相手がどう思うのかは分からない。
受け取り方まではコントロールできないのだ。
これからも本音をぶつけて〝私〟を開いていく。