【7月11日】 本をちゃんと読まない
某日
歯医者にはもう慣れてしまった。昔から割と世話の焼ける口内環境で、磨けども磨けども、虫歯だ歯周病だ親知らずだと、次々問題が発生し、歯医者に通い詰める人生である。
歯科治療に対する恐怖はもはやないに等しい。歯科医師と歯科助手に全幅の信頼を置いている。というか、置くしかないとわかっている。なんだこの音は、とか、大丈夫かこれは、とか、あれこれ気にして緊張したところでどうにもならない。患者として悟りの境地に達した感がある。
今日は麻酔をして歯茎の中の歯石を取った。器具で歯の周りをガリガリされる。麻酔をしていると、歯の硬さがダイレクトに感じられて面白い。こんなにガリガリされても歯はびくともしないのだと、改めて心強く思う。
麻酔も面白い。感覚のなくなった下唇を口に含むと、下唇は自分の身体から離脱し、生暖かいこんにゃくになる。麻酔が切れる前に、あえて何か食べてみたりする。頬を噛まないように、という緊張感が、食事に集中をもたらす。麻酔が徐々に切れていくときの、あのじわじわと血が巡っていくような、スースーする感じも癖になる。
某日
早朝、コメダに行く。テーブル席に案内され、窓側に座る。しばらくすると、隣のテーブル席に爺さんが案内された。その爺さんは、窓側ではなく、通路側に座った。私と爺さんは、斜めの位置関係にいるということだ。モーニングを食べたり、パソコンを開いて仕事をしたりしていたのだが、如何せん、爺さんの視線が気になる。最初は窓の外の景色でも見ているのかと思ったが、視界の端を駆使して調査したところ、間違いなく、こちらを見ている。気が散る。爺さん、なぜ通路側に座った。いや、別に窓側に座らねばならない決まりはない。確かに通路側に座れば、店内に背を向けることになり、他の客や店員の動きも気にならないし、窓の外の景色も見れる。のだから、窓の外の景色を見てくれ。どうしてこちらをジロジロと見る。集中できないので、今日はもう家でやろうか、と思ったその時、婆さんが一人こちらにやってきて、爺さんの向かいに座った。爺さん、待ち合わせだった。先に到着したにもかかわらず、窓側のソファー席を婆さんのために空けておく優しき爺さんだった。よし、これで私も集中できる、と思ったが、爺さんと婆さんは長年連れ添って互いを空気的存在とみなしているタイプの夫婦なのか、言葉をほとんど交わさず、黙々とモーニングを食べ、コーヒーを飲み、爺さんはやっぱりこっちをジロジロ見た。私は荷物をまとめて家に帰った。
某日
たまに行く居酒屋で一人飲む。カウンターに座っていると、学生っぽい若者が入店。店主と仲が良いようで、挨拶を交わし、私の隣に座る。聞けば、この若者は先月、この店でアルバイトとして雇われたが、初日から早退し、そのまま辞めたらしい。「なんで早退したんですか?」と聞けば、「こいつ、あせもが痒いんで帰ってもいいですか? って……」と爆笑する店主。「だって、めちゃくちゃ痒かったんですよ!」と言い返す若者。あせもが痒くて早退してそのまま辞めても、また飲みに来れるなんてことがあるのだなあ、と感心した。こんな風におおらかでありたいものである。若者は来月、フィリピンに留学するらしい。
某日
積読が多すぎる。本を買うのが好きだ。小説、エッセイは基本、紙で読みたい。なので買ってしまう。買ってしまうが、私は読書家と自負できるほど、読書に時間を使っていない。最近は特に、自分が書くことを優先して、読書を後回しにしている。それでも本は買うから、どんどん積まれていく。本棚にしまうと忘れてしまいそうなので、買った本は机の上やベッド脇に一旦置く。目に入った時に「おっ」となって読みはじめるだろうという寸法だが、本が積まれていることが常態化しているため、その景色に慣れてしまい、まったく「おっ」とならないのが現状である。
で、積読の解消のため、最近新たな方法を見出した。買って帰ったら、もしくは、買った本が届いたら、まず、一行でも読む。最初のページでもいいし、なんなら、途中の適当なところでもいい。すると、その本は積読ではなくなる。積読ではなく、読みかけの本になる。雑魚すぎるトンチだ。しかしこれが実際、一行読めば一行で終わることはない。腐っても本好きなので、なんだかんだ、ずいずい読み進めてしまう。私は読書に対して、ちょっと生真面目すぎた。読み始めたら一気に最後まで読み切るのを美徳としているようなところがあり、それが読み始めのハードルを上げる一因であった。ちゃんと読もうとしすぎていたのだ。途中までしか読んでいない本があってもいいし、目次を見て面白そうなところだけ読んでもいい。私が買った本なのだから、どう読もうが自由なのである。本を物として所有する醍醐味はここにある気がする。本はそこにあるだけで、自分の物にした時点で、もう価値がある。だから私は今日も、本をちゃんと読まなかった。それでも本が好きだと自信を持って言える。
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