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食べられるさかな

その日、私は仕事帰りにとある店の暖簾をくぐった。そこは店主が一人で切り盛りする小さな居酒屋で、メインは焼き鳥だが魚介の品揃えも豊富。仕入れによって変わるメニューの数々は酒飲みを飽きさせない工夫に満ちており、もはやその存在自体が酒盗とも言える私のお気に入りの店のひとつであった。

私はいつも通り生ビールを注文し、すぐさまお品書きを手に取った。最高にそそるラインナップに胸を高ぶらせ、うきうきと眺めていたその時、衝撃が走った。お品書きの最後の方に「それ」はあった。あったのだ。

「それ」は、私にとって幼き日の恥辱。同時に、希望。心の奥底に眠っていた遠い過去の記憶が、昨日のことのように蘇ってきた。



小学校時代の私は体も小さければ気も小さかった。特に大勢の中で注目されることに並々ならぬ恐怖心を抱いており、授業中に当てられただけで泣いてしまうことさえあった。カラオケで全身にタンバリンを打ち付けてウケを取ろうとする大人に成長した現在からすると全くもって信じがたい話である。

とにかく授業中は先生の目に留まらぬよう縮こまり、体の表面積を小さくすることに必死だった。そんな状態であるから、例え「これ、進研ゼミでやったやつだ!」と思っても、とてもじゃないが手を挙げて発表することなどできなかった。正解を叩き出し、皆がどよめき、先生に褒められ、ゼミを紹介してくれた親友に「アイツやるじゃん」と見直してもらうなど夢のまた夢、漫画みたいな話であった。

そんな日陰の小学校生活を送っていた、ある日の授業でのこと。

「食べられる魚を挙げてみよう」

先生はそう言って、廊下側から順に発表していくよう指示した。授業中に発言することは極力避けたいが、この順番に言っていこう方式においては仕方がない。むしろ悪目立ちしないためにも、自分の順番がきたら滞りなく発表をこなすことが重要、黙り込んでしまうのはご法度、間違えるなど論外である。ただ、私の席は教室中央の窓側寄り。果たして魚は足りるのか。不安を募らせる私をよそに、古今東西「食べられる魚の名前~!」は廊下側先頭より盛大に幕を開けた。

「マグロ!」

「サケ!」

「サンマ!」

軽快なスタート。やはりすぐに思い付くようなお馴染みの魚たちは早々に消費されていく。

私はひとつ閃いた。寿司だ。寿司ネタを思い浮かべることで、より多くの魚を思い出す作戦。我ながらナイスなアイディアである。例えば、ハマチ、サバ、アジ、それにエンガワ。

「エンガワ!」

ちょうど誰かが言って、教室が少し騒めいた。先生がすかさず「残念、エンガワは魚の名前ではありません」と訂正を入れる。知らなかった。危なかった。まんまと引っ掛かるところだった。もしあれが自分だったらと思うとぞっとする。が、エンガワトラップに掛かった張本人は平気な様子でヘラヘラしている。なんという強心臓の持ち主だ。信じられない。私ならとっくに失神している。

そうこうしているうちに寿司ネタの魚はどんどん挙げられ、私はあっという間に手札を失った。焦るな、落ち着け。そう自分に言い聞かせながら考えていると、ここでまた名案が浮かんだ。サザエさんだ。サザエさん一家大集合でこの場を切り抜けるのだ。

まずはカツオにタラちゃん、そしてマスオさん。苗字はフグ田。だがしかしサザエは貝、ワカメは海藻、波平は波でフネは舟。タマ。え、タマ? そういえば何でタマだけタマなのか。いやそれは一旦縁側にでも置いておくとして、忘れちゃいけないアナゴさん。タイコさんもいるじゃないか。心強い。なんて心強いんだサザエさん御一行。さすがは国民的長寿アニメである。曲に合わせて勇ましく腕を振りながら段階的に前進してくるサザエさん御一行が見える。

しかし喜んだのも束の間、誰かが「カツオ」を言ったことで、どうやらサザエさん御一行の存在がバレた。「タラ」「マス」「フグ」「アナゴ」「タイ」は瞬く間に奪われ、私はまた手札を失った。なんとういことだ。まるでお魚くわえたドラ猫の如し。絶望している私を真っ二つの果物の中でクネクネしながら嘲笑うタマ。おまえか?ドラ猫たちの親玉は。

タマ黒幕説を唱えるその最中にも順番は刻々と近づいている。このままではまずい。私は気力を振り絞って考えた。煮魚、焼き魚、魚、魚、魚。もうダメかと諦めかけたその時、降って来た。シシャモ。まだ出てない、シシャモ。よく知られた魚ではあるが、その絶妙な存在感の薄さで皆の思考の網をかいくぐっている。これだ、これしかない。私の前にはあと5人。最後の切り札「シシャモ」をぎゅっと抱きしめ、私は祈った。ただただ祈った。

「ニシン!」

「ホッケ!」

残りあと3人。いけるか。

「ブリ!」

よし。

「ワカサギ!」

あと一人。

「シシャモ!」

シシャモ。

大切に抱いていたシシャモを目の前でさらわれ、私は頭が真っ白になった。私の番だ。先生が、皆が、私に注目している。もうダメだ。終わりだ。

その時、真っ白になった頭の中に、何かがぼんやりと浮かび上がってきた。それは母の姿だった。母はいつもの青いチェックのエプロンを付け、両手で大きな平皿を持っていた。そしてその皿には白く透き通った魚の刺身らしきものが、少しずつ重なり合いながら美しく並んでいる。これは私の記憶。いつだったか、こんなことがあった気がする。

記憶の中で私は「それ、何?」と母に尋ねた。
母は答えた。「これはね―――」

「マンボウ!」

一瞬、時が止まった。静まり返った教室は、まるで大きなホールのように感じられた。私の声は空間を走り、壁にぶつかって私の耳へと帰って来た。クラスメイトたちの大爆笑を引き連れて。



「どうぞ、生ビールです」

注文したビールが運ばれてきて、私は最初の一口を勢いよく流し込んだ。そして一息ついた後、先程お品書きで見つけた「それ」を注文した。店主は返事をして、焼き場で何やら準備を始めた。

皆が大笑いする中、先生は「うーん、食べられるのかなあ。食べたことあるの?」と私に尋ねたが、私は溢れそうな涙を隠すため、俯きながら首をかしげることしかできなかった。恥ずかしかった。物凄く、恥ずかしかった。

ただ、母が両手で持った大きな皿、刺身、そして会話。記憶は鮮明だった。家に帰って母に確かめた。しかし母は、そんなものを出したことはないと言った。

じゃあ、あの記憶は何なのか。夢で見た記憶だったのか。未だに謎である。

「お待たせしました」

店主が目の前に皿を置く。何にせよ、あの時の私は正しかった。その証拠が今、目の前にある。

初めて見る「それ」は、まさに珍味という風情。表面は薄い赤茶色で、ブツ切りにされた断面は白。箸でつまんで口に入れてみると、臭みなどはなく、コリコリとした歯ごたえが実に心地良い。

大人になった私はもう恥ずかしくて泣いたりはしない。何度も失敗して、恥を晒して、少しずつ強くなったのだ。面の皮は厚くしておくに限る。だって最後は人におしめを替えてもらって生きるのだ。誰しもきっと、恥の多い生涯なのだ。

私は「それ」をもう一口、あの日の雪辱を果たすかの如く噛み締めた。飲み込んだ後の塩気にビールを後追いさせて、喉の奥からプハッと息を吐く。これはなんとも酒に合う。大人になったからこそ、食べられる肴。

涙をこらえて俯いている、あの時の私に伝えたい。

マンボウの腸の炙り、おいしいよ。


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長瀬ほのか
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