8/30 何者にもなれなかった話(懺悔)
私は頭が良かった。
過去形なのは現在頭が悪いからである。
小学生〜中学生あたりは親のスパルタ教育や田舎の狭い空間だったことが功を奏し、地元でも偏差値の高い高校に進学できた。
しかし色々あって偏差値35のど底辺全寮制高校に転校し、親の監視がなくなったことや、塾や予備校にも行けなくなったことで
私の転落人生が始まる。
幼少期から東京都立大学の看護学科に進学を希望していたのだが、高校時代に病気を患って入院をした際、看護師さんの働く姿を見たこと、患者としての立場になったことで、自分は看護師に向いていないと挫折した。
また、この入院期間が仇となり、理系クラスの授業が一切ついていけなくなってしまい、文系クラスへの移動を余儀なくされたのだった。
ここで医療系への道が一旦閉ざされる。
その後、青山学院大学の文学部を目指し、一般で受験するももちろん不合格。滑り止めで受けた今はもう廃校になった短大に入学し、教員免許の取得と編入学を目指したが適応障害で休学。謎の学生団体に傾倒したり、2年半付き合っていた彼氏と別れたりした。今思えば人生の中で1番の暗黒期だ。
この間は通院をして回復した頃に、やってみたかったスタバでバイトをして社会経験を積んでいた。
この時点で編入や教員の夢は消え失せていた。
復学した後は「無理をしない」というのを第一に、卒業したら事務のお姉さんにでもなろう、今は好きな勉強だけしようとのんびり過ごし、卒論も無事に書き終え、無事第一志望の企業に入社。
ようやく何者かになれるかと思った。
しかし、待っていたのは上司からのパワハラ。
今度はうつ病になって休職。一度復職したものの、やはり無理だと悟って半年で退職をした。
貯金はあるがこれからの食い扶持はどうしよう、というときにもう一度スタバで働いて、過去にできなかったことを今の自分はどこまで行けるか挑戦しようと考えた。
契約社員として採用してもらい、朝5時起きで働き、最終的には本社でアルバイト向けに販売促進の為のプレゼンをさせてもらった。
正社員登用も夢じゃ無いところまで来た。
だが5時起きで何連勤もこなし、上がらない安月給や、手当のつかない残業に疲弊した私はまたしても体調を崩して辞めてしまった。
看護師、教員、編入、会社員、スタバ店員
どれか一つでもモノになればそれで良かったのだが、私は何者にもなれないままだ。
資格もない、大した職歴もない、学歴もない、頭も良くない。
この歳まで親の金で生きていることに本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
周りは「まだ若いんだから」と言ってくれるが、25歳で親の金で生きている未婚の女、地元じゃおそらく私だけです。
田舎じゃ相当やばい奴です。同窓会、行けていません。
縁があって、歯科衛生士という職を教えてもらい、大学に入り直し、国家資格取得を目指して今は勉強する毎日だ。
さまざまな経験をしてきたからこそ、物の考え方、記憶の仕方、モチベーション等はやはり同級生には負けていないと感じている。
人間の思考力は40〜60代がピークらしい(ソースは知らない)。
この辺りは頭の良し悪しというより使い方の話になってくるだろう。
だが、もしも私が諦めずストレートで看護師になっていたらどうだっただろうか。
編入して教員になっていたら。
会社員を続けていれば今頃結婚だってしていたかもしれない。
スタバで働いていたらキラキラした世界でやりがいを感じて働いていたかもしれない。
何者にもなれなかったという積み重ねは、今後も「何者になれるかもしれない可能性」に於いてとてつもない足枷になる。
10年以上の時間をかけて、社会不適合者と言う誰に押されたわけでもない烙印を取り除くことは今の私には不可能なのだ。
私は本当に歯科衛生士になれるのだろうか。
免許を取ってもその後続けていけるのだろうか。
免許を取得した後の目標もある、結婚する暇もなくバリバリ働きたいと思っている。
だが、もしもまた挫折した時、私は次は何になろうとするのだろうか。
免許を取得して働く頃には30歳くらいだ。
「歳を取れば図々しくなるから少しのことは気にしなくなる、だから大丈夫」
そう励ましてくれる人生の先輩たちの言葉を信じて取り敢えず今週のテストを乗り越えていく。