【セールス責任者】キーエンスで全国1位を7度獲得した私が、ネクスタで製造業DXに挑む理由
Profile
株式会社ネクスタ
セールス責任者
田口 朋幸
奈良県出身。同志社大学を卒業後、株式会社キーエンスへ入社し、測定器やセンサなどを用いた製造現場におけるコンサルティング営業に従事。個人として4期連続を含む5度の全国営業ランキング1位、マネージャーとしても2年連続で全国ランキング1位を獲得するなど全国表彰多数。キーエンス退職後、物流系ITスタートアップでの役員や起業を経て、現職。
新卒で入社したキーエンス、遅咲きだった若手時代
― 田口さんは新卒でキーエンスに入社し、17年間という長いキャリアを積まれました。就職活動中、キーエンスという会社を知ったきっかけは何ですか?
ある日ポストに、キーエンスの新卒採用の郵送DMが入っていたのが最初のきっかけです。当時はキーエンスという会社を知らず、突然届いた三角形の郵便物に「何だこれ?」と目が止まりました。変わった形のDMを送って興味をもってもらうというキーエンスの作戦にまんまとはまってしまいました(笑)。
― 当時、三角DMは有名だったみたいですね(笑)。キーエンスを知るまでは、どんな会社や業界を志望していたんですか?
就職活動中は主に、金融業界を中心に選考を受けていました。学生の頃から、将来は経営者になりたいと思っていたので、若いうちにお金が稼げて成長できそうな業界を軸に会社を見ていました。20年ほど前は、銀行や保険などが安定・高収入の人気業界だったので。
それらの志望業界の選考の合間に、キーエンスの説明会に参加しました。頑張れば若いうちからかなり高い収入が得られる会社だという事を知り、また社員の方々や選考を受けている学生のレベルも非常に高いと感じました。ハードワークで厳しい会社なのは理解していましたが、「この会社で通用しないようでは経営者になんてなれない」と思い、まずはキーエンスでトップを目指そうと思いました。メガバンクや大手保険会社からも内定を頂いていましたが、丁重にお断りをしてキーエンスに入社しました。
― 当時の金融業界の人気を思うと、大きな決断ですね。
当時は今以上に内定辞退にも重みがあったので、内定先には結構怒られましたね(笑)。東京まで謝りに行った会社もありました。
― すごいですね。そんな経験もしながら入社したキーエンスで、初めはどんな仕事に従事されたんですか?
新卒入社時に配属されたのは、変位計や計測器を扱うアプサルト事業部です。本当か分かりませんが、当時は花形部署だと言われていました。自動車関連の企業が集まる刈谷営業所に配属され、デンソーやアイシンなども担当していました。
― 華々しいキーエンスでのキャリアが始まった、という感じですね。
……そう思うじゃないですか。実は、若手時代はなかなか結果が出ず、悔しい思いをしてきました。キーエンスの新入社員のなかには、最初からどんどん結果を出す天才肌タイプと、こつこつと努力して力をつけていく大器晩成タイプがいると思っているんですが、私は完全に後者でした。同期の中には3年くらいでリーダークラスに上がっていく人もいる中で、私はリーダークラスに上がるまでに6年もかかりました。
― 意外です!なぜ、すぐに結果が出なかったのでしょうか?
同期と比べて苦労したのは、商品知識のインプットでしょうか。キーエンスの数ある事業部の中でも、私が配属された部署は特に取扱商品が多く、膨大な量の技術的内容を理解する必要がありました。例えばレーザー変位計の場合、設置距離やサンプリング速度を計算した上で、ここに測定器を設置すると入射角がこうだからこの異常を何μs(マイクロセック)で検知できるので費用対効果はこうです……みたいな。元々超アナログ人間だったので、かなり苦労しました(笑)。
― 文系の私は、もうついていけていません(笑)。
難しいですよね。正直、対人交渉などの営業力には多少自信があったのですが、いざ求められたのは膨大な知識量。営業に関しても、交渉力というよりは組織把握力や調整力などがメインスキルの営業スタイルだったので、なかなか自分の強みが活かせず伸び悩みました。今でも鮮明に覚えているんですが、初めて訪問したお客様から「何がしたいの?」と言われてしまったというエピソードもあります(笑)。
― 「何がしたいの?」ですか……強烈な一言ですね。
営業としてはめちゃくちゃ恥ずかしい一言だと思います。本来はお客様の業務内容をヒアリングしたうえで、お客様に合う提案をしないといけないのに。当時は研修で習ったデモの再現しかできなかったんです。今思い返しても本当に立ち上がりが遅く苦労しました(笑)。
― それでも、初めの部署には5年間いたとお伺いしています。他の部署で営業したいと思うことはなかったんですか?
幸い先輩や上司には恵まれまして。徐々に業界や営業スタイルにも慣れていった事もあり、3年目以降は全国表彰もされるなど、何とかそれなりにやっていました。一方で、より自分の営業力を活かせそうな部署への異動願いは出していました。ただ、そこまで結果も出していない若手の異動願いなんて、聞き入れてもらえるわけもなく……
― では、田口さんが売れる営業に変わるきっかけは何だったんですか?
これは本当に偶然なんですが、そろそろ転職をしようかな……と考えていたタイミングで異動の内示があり、キーエンスが社内ベンチャーとして立ち上げた、ログアスというIT業界専門の人材紹介会社に出向することになったんです。元々人材業界にも興味があったのと、まったく新しい環境で、全員同じスタートラインから競争できるこの異動は、私にとって大きな転機になりました。
― 出向というとネガティブな印象を持つ人もいるかと思うのですが、田口さんの場合は良いリスタートになったのですね。
はい、かなりポジティブに受け止めていました。もともと人材の仕事にも興味があったのも大きいです。キーエンスでは優秀な先輩がたくさんいて、1位を取るのは至難の業でしたが、今回は全員未経験者からのスタートなので「誰より頑張って絶対に1位を取ってやる!」と燃えていました。多分、そんな人は私しかいなかったと思います(笑)。
― ここから大器晩成していったんですね。当時の仕事内容も教えてください。
出向先では、東京のIT企業に採用案件をもらいに行く新規開拓営業をしていました。Microsoftや楽天などの大手から数人規模のベンチャー企業など、とにかくIT関係の会社を片っ端から訪問しました。法人営業という共通点はあるものの、キーエンス本体にいたときの営業とは全く違う営業でした。
― 具体的にはどういう違いがありましたか。
まず、会社のネームバリューがないという違いがあります。キーエンスの子会社と名乗ることはできましたが、当時のIT業界におけるキーエンスの知名度はせいぜい10%くらいでした。キーエンスでは製造業のお客様に電話すれば、ひとまず話は聞いてもらえましたが、無名のログアスでは、テレアポしてもガチャ切りが当たり前。アポ取りがあれほど大変だとは思いませんでした。電話だとなかなかアポが取れないので、訪問の8割は飛び込み営業でしたね。東京の色んなIT企業に突撃しまくってましたよ(笑)。
― 地道な新規開拓営業をしていたんですね。商材も有形商材から無形商材に変わることになりましたが、どんな違いを感じましたか。
改めて、キーエンスの製品には商品力があると感じました。キーエンスは商品そのものが強いので、営業トークが苦手でもなんとか商談は成立するんです。しかし、人材紹介のベンチャー企業には商品力という武器がなく、営業力が全てでした。飛び込み営業のような短い時間でも話を聞いてもらえる力や、興味のないお客様に興味を持ってもらう能動営業のスキルはかなり鍛えられたと思います。実際にログアスでは、ずっと営業1位の成績を取れたことで、「誰にも負けない」というトップにこだわるマインドが生まれたと思います。
― キーエンスの5年間での営業経験をベースに、さらに実力をつける機会になったんですね。その後、キーエンス本体に戻られたんですか?
はい。ログアスはリーマンショックの直後の立ち上げという事もあり、安定した売上を上げる事ができず……出向してから1年弱で解散となり、キーエンス本体に戻りました。配属先は精密測定事業部という部署です。当時のキーエンスとしても新しい領域である、測定器を販売し始めて間もないタイミングの部署でした。私が配属された頃の測定器事業は、まだ売り方が確立されておらず、かつ取引のない中小企業へのアプローチも多い。キーエンスという看板の強さも活かしにくい環境でした。私にとっては、ログアスで培った能動営業の経験を活かすのにちょうどよく、この事業に配属された事は個人的には追い風でした。
― そこから快進撃が始まったという事でしょうか。
はい、キーエンスに戻って半年後から2年の間に、4半期連続で全国1位を獲得する事が出来ました。メンバークラスからリーダー、リーダーからマネージャーに一気に昇進し、社内のクラスも2段階上がりました。
― たった2年間で、メンバークラスからマネージャーまで昇進するなんて、とんでもないスピードですね。
2年間ずっと1位だったので、2年での昇進スピードは最速だったと思います。上述の通り、入社当初はかなり苦労した事もあり、「もう二度とあんな思いはしたくない」「圧倒的な成績を納めて絶対的な地位を築いてやる!」と燃えていました(笑)。
― キーエンスに戻ってから、圧倒的な結果を出せた理由は何だと思いますか?
一つは、出向先で身につけた、決裁者へ直アポを取る能動営業スタイルがマッチしたからだと思います。他の営業が社長に直接電話するのをためらっている中、ためらわずに直アポを取りまくっていました。その場で売り切ることを「即売り」と呼ぶんですが、社内の即売り件数ランキングではずっと1位でした。社長に直接アポを取って1~2時間で売り切るという即売りスタイルは、まさに入社当初に活かせなかったクロージング力が活かせるという点で自分にはかなりマッチしていました。
あとは、アクション(質/量)ですね。キーエンスの営業成績ランキングって、数字の評価が7割、残りの3割はアクションで見られるんです。つまり、数字を上げても、アクションが良くないと1位は取れない仕組みになっています。アクションの土台となる電話・訪問の件数はもちろん、各施策の目標達成も含めてアクションランキングもずっと1位をキープしていました。アクションを誰より徹底度高く実行し、その上に即売り営業の強みがハマったことで、高いレベルで安定した結果を出すことが出来たんだと思います。
ストイックなだけではダメだと学んだ、キーエンスのマネージャー時代
― 田口さんはキーエンスのプレーヤーとして十分な実績を積んだのち、マネージャーとして営業チームをマネジメントする立場になられました。どのようなマネジメントをしてきたのでしょうか。
2013年からは名古屋営業所、2018年からは大阪営業所にてマネージャーを経験しました。この2つの営業所で行ったマネジメントは、まったく異なる方法でした。まず、初めてキーエンスでマネージャーとなった名古屋営業所では、ストイックで厳しい結果主義を徹底していました。
― 具体的には、どのように厳しかったんですか?
メンバーが入社5年目以内の若手ばかりというチーム編成だったので、若さを活かしてとにかくアクションはどの営業所にも負けないというのを徹底していました。
KPIの達成にはどんな言い訳も許しませんでしたし、もちろん数字にも厳しいマネージャーでした。絶対に1位を目指すぞ!というストイックで徹底度の高いチームマネジメントでした。
― もしかして、ちょっと怖いマネージャーでしたか?
メンバーからすると怖かったと思います。何より、プレイングマネージャーの私が誰よりも数字やアクションの結果を出していたので、メンバーも「できない」と言えない空気感がありました。私が営業の成果を出し続けるマネージャー、かつ当時のメンバーが若手中心だったからこそ成り立っていたパワーマネジメントですね。甘やかさずに指導していく方が、将来的に彼らの成長や結果に繋がると信じていました。
― 現在の柔和な田口さんのイメージとは全然違いますね。そのようなスタイルのマネジメントをした事でチームはどうなったんでしょうか。
メンバー全員が頑張ってくれたおかげで、結果的にマネージャーとして全国1位を獲得する事ができました。しかしその見返りとして、メンバーは疲弊していました。実際にメンバーから指摘を受けることがあり、このマネジメントでは限界があるなと痛感しました。
― 指摘をくれたメンバーの方は、何と言っていたんですか?
田口さんのマネジメントは厳しすぎるし、みんな疲れていると言われました。自分自身が誰よりストイックに営業する事で結果を出していたので、メンバーにもそれを求めすぎたのがよくなかったと反省しました。このマネジメントでは、短期的には結果を残せても継続的な結果は出せないし、何より再現性がないなと思いました。
― その後、大阪営業所に異動されたんですよね?
はい。当時マネージャーの中でも結果を出していたほうだったので、その上の役職(営業統括マネージャー)の候補にあがっていました。でも、名古屋の時のようなマネジメントしか出来ないようでは、人や組織を伸ばしていく事が難しいという上の判断があったようで。より幅広い年齢層で構成された大阪営業所で結果を出せるか?と試されるような感じで、大阪に異動してマネージャーをする事になりました。
― 大阪営業所のメンバー構成はどんな感じでしたか?
大阪営業所のメンバーの半分は私より年上で、中には50代のメンバーもいました。年下ばかりの名古屋営業所で通用したパワーマネジメントは、ここでは通用しません。自分自身も試されているのは分かっていましたし、新しいマネジメントを習得したいと考えていたので、この異動を機に、チームマネジメントのやり方を大きく変えようと考えました。
― 具体的に、どのようにマネジメント方法を変えたのですか?
以前は、全メンバーに同じ量・同じ質の営業を求めていました。一方、大阪営業所では、各メンバーの強みや考え方を理解した上で、各メンバーの個性を活かしながらチーム業績を最大化するマネジメントを目指しました。
このようなマネジメントの手法は、均一なチーム管理より手間がかかるので大変です。メンバーによって伝え方やアドバイスを変える必要があるので、自分がマネージャーとしてのレベルを上げないといけないと感じながら日々、試行錯誤していました。
― メンバーとの向き合い方が大きく変わる機会になったんですね。
そうですね。悩んでいそうなメンバーをランチに誘って、話を聞いたりもしました。メンバー全員が気持ちよく働いたうえで、業績を最大化する組織にするために、モチベーションの管理も大事だと改めて感じました。
最終的には、大阪営業所でもマネージャーとして、全国1位表彰を受けることができました。実はこのときは、プレイヤーとしても全国1位になったので、プレイヤー・マネージャー双方のW表彰となりました。これを機にクラスもさらに上がり、統括マネージャークラスに昇進できました。名古屋時代とは全く異なるマネジメントのやり方でチーム・個人ともに結果を出せたことは、私にとって大きな成功体験となりました。
― マネジメントにより手間をかけながら、個人・チーム両方で1位!キーエンスでのキャリアを順調に登り詰めていたように思います。
順調だったキーエンスを退職、営業コンサルとしてネクスタに出会う
― キーエンスで統括マネージャークラスにまで昇進したタイミングで、ベンチャー企業へ転職されたとのことです。周囲も驚いていたのではないですか。
同僚からは「なぜ今辞めるんだ」とかなり言われました。たしかに、キーエンスでここまでキャリアを積み上げて転職する人はあまりいません。でも、ふと自分の人生について振り返ってみると、もともとは経営者になりたいと思っていたことを思い出しました。人生は思っているより短いので、やりたいことをやらないと絶対に後悔すると思い、より経営に近いポジションで仕事ができそうな環境を求めて、物流システムのスタートアップに役員として転職しました。それと同時に「経営者になる」という目標を達成するために、自分でも営業コンサルティングの会社を設立しました。いわゆるパラレルワーカーですね。実はこの営業コンサル業を通じて、ネクスタと永原さんを知ることになります。
― 田口さんは永原さんと同じキーエンス出身ですが、もともと永原さんと知り合いというわけではないんですね。
そうなんです。本当に偶然の出会いでした。会社設立と同時並行で、自分のスキルセットを活かして価値提供できそうな会社を探していたところ、X(当時Twitter)で永原さんのアカウントを見つけました。関西発のSaaSスタートアップ企業の経営者で、「製造業を変える!」という熱意に溢れていました。あと、永原さんのnoteにも目を通し、あまりの共通点の多さに驚きました。キーエンス出身ということ以外にも、奈良県出身、同志社大学出身、同時期に名古屋で働いていたなど……
― 出身地や出身大学まで一緒なんですね!
すごい偶然ですよね。運命のようなものを感じてすぐにDMを送ったら、早々に返信を頂きました。翌日には、ネクスタの会議室で永原さんと会わせてもらいました。初対面のときから裏表がなく、オープンマインドな方だと思いました。あと、ネクスタへの事業に対するまっすぐな気持ちも印象的でした。そこから、業務委託としてネクスタの営業サポート業務を始める事になりました。
営業コンサルとして約1年事業に携わり、永原さんだけでなく、社員の方の人柄や事業の将来性にも魅力を感じて、ネクスタのセールス責任者として正式にジョインしました。
― 業務委託から正式ジョインに至った決め手は何でしたか?
ネクスタが自分の働きたい会社の理想像に一番近いと感じたからです。むしろ、理想の会社の条件に合致する会社は、ネクスタしかありませんでした。
まず、製造業に携われること。キーエンスを辞めていざ物流システム会社で働き始めたのですが、やはり製造業に戻りたいなという気持ちが日増しに強くなっていきました。17年間のキャリアを捧げたキーエンスでの経験の中で、自分が思っている以上に製造業が好きだったんだなと実感しました。前職でたまたま製造業のお客様のホームページを見た時なんかは、つい製品ページを見てしまって「これ精度厳しそうだなあ」「この角度測定したいなあ」とか思ったりしてました(笑)。
― 測定したくなるんですね(笑)。なぜ、製造業が好きになったんだと思いますか?
やはり、キーエンスの営業で現場にたくさん足を運んで、「ものづくりの魂」にたくさん触れたからだと思います。ものづくりには、つくる人の思いや熱気、こだわり、プライドが詰まっています。そんな熱い製造業がやっぱり好きなんだなと、転職して再認識しました。営業としての自分は製造業に育ててもらったという思いもあるので、恩返しのような形で貢献できればという思いもありました。
それ以外にも、ネクスタは自分が求める会社の理想条件に合致していました。営業の責任者として、採用も含め自分で一から組織を作っていけるという点も希望通りでした。また、大阪で働くということは決めていたので、ネクスタが大阪本社というのも重要な決め手になりました。スタートアップはどうしても東京本社の企業が多いのですが、やるからにはメンバーと対面できる環境で、一緒に思いっきりやりたいという思いが強かったんです。
営業組織作りのこだわり、キーエンスを参考にしつつ「ネクスタらしさ」を伸ばす
― 現在はネクスタのセールス責任者として、どんな業務をされていますか?
セールスのみんなにどんな役割を与え、どうやって売上を最大化するかを考えながら、組織作りを進めています。最近は人員も増えてきたので、チーム制を導入しました。経験を積んできたメンバーはリーダーに上げて、その下にメンバーを配置する事で各人の役割を明確にしました。各自がやる事を明確に理解することで、チームとしての生産性を上げるのが狙いです。また、同時並行で評価制度の整備も進めていますね。
― 田口さんのセールス組織の作り方は、やはりキーエンスがモデルになっている部分もあるのでしょうか?
そうですね。特に営業データの分析・管理について、ネクスタはベンチャーらしからぬ細かさでやっています。顧客や商談のデータはHubspot(顧客情報を一元管理するツール)で管理し、集めたデータをもとに各施策を進めています。ベンチャー企業では営業データの分析まで手が回らないことが多いかと思いますが、うちでは経験則や感覚だけに頼らないよう、データ分析も重視しています。
一方、キーエンスとは異なる面もたくさんあります。たとえば、キーエンスとネクスタでは、商材の特性が異なります。ネクスタが販売する生産管理システム「スマートF」は、正式発注までに複数の部署が関わることが多く、リードタイムも様々。たとえば、キーエンスの測定器は、品質管理部のみの判断で発注することもある一方、スマートFは生産管理部から製造現場、購買部門や営業部門など、いくつかの部署が関わるケースが多いです。そのため、商談での確認事項が多く、調整力や知識も求められます。それこそ、私がキーエンスでやっていた「即売り」のような売り方とは全然違うので、異なるマネジメントや育成が必要になります。
たとえば、セールスの知識の底上げ施策の一つとして、新人に対して個別にセールス勉強会を行っています。営業のロールプレイングとフィードバックを毎週行う、マンツーマンの勉強会です。それとは別に面談前と後に1on1を実施し、戦略立案と振り返りも日々行っています。ネクスタ規模のベンチャー企業で、ここまで細かいマンツーマン教育をしている会社って少ないんじゃないでしょうか。このような取り組みを通し、セールスが成長できる組織を体系的に作っています。
― ネクスタでは、キーエンスと違う点も多くあるのですね。
もう一つ、キーエンスとネクスタでは社風も異なると思います。これはセールスチームに限ったことではないですが、ネクスタは役職に限らず、課題があればどんどん発信して即改善していくボトムアップの組織です。キーエンスも風通しは良いほうだとはいえ、まだ結果を出していない若手の意見は通りにくい面が少なからずあったので、そこは大きな違いですね。このボトムアップの社風は、ネクスタらしさ、ネクスタの良さだと思います。セールスでも、若手が意見を発信しやすい雰囲気や仕組み作りは、今後も注力していきたいと思います。
再現性のある強い営業組織を作りたい
― これから、ネクスタのセールスをどんな営業組織にしていきたいですか。
一言で言うなら、「個々の能力を活かした再現性のある強い営業組織」です。
営業には様々なパターンというのが存在します。そのパターンは無数にあり、全てを型化することは難しいですが、その中でも優先度の高いものから少しでも多くのパターンを型化していき、セールス個人に属人化しない再現性のある強い組織にしていきたいです。
そのためにも、まずは核となる優秀なリーダーをたくさん育てたいと考えています。リーダーのレベル感はそのままメンバーの成長に直結します。ネクスタでの営業方法についてはもちろん、仕事全体に対する判断基準まで、組織全体で認識が一致していて再現性のある状態を目指しています。まずは今いるメンバーでカルチャーをしっかり醸成しつつ、優秀なメンバーを増やしていきたいです。
そして将来的には、新たな営業所も開設したいです。やはり製造業は現場を見ることが大事なので、セールスがフットワーク軽く現場に足を運べる環境を作るためにも、営業所を増やしたいです。それが受注率アップにも繋がると思いますから。東京、名古屋、福岡、埼玉……進出したいエリアはいろいろあります。今よりもっと多くの企業の役に立ち、日本の製造業に少しでも良い影響を与えられる企業に成長させていきたいです。
― これからどんどん大きくなるネクスタのセールスで、田口さんはどんな人と一緒に働きたいか教えてください。
なんといっても、成長意欲が強い人と是非一緒に働きたいです。あとは、知的好奇心が強い人ですね。ネクスタのセールスは知識量が必要です。ここでの知識量というのは、自社サービスの知識だけではなく、お客様の現場知識も含みます。現場を理解して、お客様の悩みを深く理解したうえで、スマートFを通して本質的に価値提供できるかが重要になってきます。
今は製造業やシステムの知識が無くても、知識や理解を深めるために好奇心を持って粘り強く取り組める人は、やる気さえあれば入社後からでもキャッチアップできます。それに何より、成長できる環境がネクスタにはあります。
私も全力でサポートしますので、是非ネクスタへのジョインをお待ちしています!
― 貴重なお話をいただき、ありがとうございました!
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