柿の泣き声が聴こえる
この時期、スーパーでは柿の泣き声が聴こえる。
誰が何と言おうと、僕にはハッキリと、見切り品コーナーで見向きもされずイタズラに熟して行く柿達の泣き声が聴こえます。
今日も、また。
……………なぜ?
柿はこんなにも可愛くて美味しくて、栄養も豊富なのに…
なぜスーパーの見切り品コーナーの常連となってしまうんでしょうか。
僕は子どもの頃から柿が好きで、僕が生まれた頃にはもう亡くなっていた、母方の祖父母の家には大きな柿の木があり、毎年秋には家族で柿をハントに行ったものです。
柿をハントする時はいつも、おじいちゃんとおばあちゃんにちゃんとお礼を言ってハントするんじょ、と両親に言われていたので、今でも柿を食べる時、会ったことも無い祖父母のことを思い浮かべます。
2人ともやっぱり柿みたいな顔してたんだろうか、とかまあそんなことを考えながら、今宵も熟れまくった柿を皮ごと喰らう。
…甘すぎる。
人生もこれぐらい甘ければ良いのに。
そんな思い入れのある柿々は、世間ではあまり人気が無いという現実を知り、僕は切なくなっています。
そんな切なさから、僕は彼らをスーパーの見切り品コーナーから救い出さずにはいられない。
特に、その行いに対して彼らから見返りを求めている訳ではありませんが、
いつか、僕が窮地に立たされた時に、突然天から何者かが現れて、
柿「私はあの時スーパーの見切り品コーナーで助けて頂いた柿です」
って、恩返しに来てくれるかもしれませんよね。
情けは人の為ならず。
人にした(人か…?)ことが自分に返ってくるということがもし本当なら、
こうして見切り品の柿を救うという善行もまた、未来の自分への投資と言えるかもしれません。
皆さんも、今度スーパーに行く時には耳を澄ませて見てください。
どこからともなく柿っぽい泣き声が聴こえたら、どうか僕の代わりに彼らを救ってやってください。