らいはいのうた

3/12に家族だけで執り行った、息子の逸花の四十九日法要からもう1ヶ月半が経とうとしている事に、毎朝カレンダーをみては気付き、時の速さに驚愕してしまう。
もうこんなにも日にちが経ってしまったのか。

四十九日法要の日に植えた、黒松の種は5つ植えたはずなのに真ん中の一本だけが、殻を破り芽を出して、まっすぐ上に向かってこんなに伸びているのだから、時間が経過しているのは事実なのだけど、心のどこかだけ少し止まっていて現実と記憶の時間にラグが出てきているんだろうと思う。

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毎日、四十九日法要の日にあげていただいたお経の「らいはいのうた」を朝夕に唱え、最低限の食事と最低限の心の栄養を摂りながら、丁寧に生きてきたけれど、夕まずめ朝まずめに、それから眠れない夜更かしの日に考えてしまう。

なんで逸花は産まれて来なかったんだろう

彼の痕跡は生きて産まれてないのだから本当は無いはずなのに、おみくじを引けば31番、レストランに入れば案内された席が31番、窓も開けてないのにお線香がゆらゆら揺れたり…
わたしのラッキーナンバーは23なんだよ。でも君と出会ってからなぜか31ばっかりだよ。
おい、我が息子よ。君は一体何処にいるんだい?

そんな事を思いながら1日1日過ごしてもう帝王切開術から3ヶ月を迎えようとしている。


いっちゃん、母たちは気持ちの波をなんとか溺れつつ浮き上がったり揺蕩いながら、君のいない空間で喧嘩したりゲームしたりして元気に過ごしているよ。
お寺さんが言うには、君はきっと仏さまになったのだから、それぞれの場所で同時にみんなのことを眺めながら過ごしているんでしょ?
2.3年は河原で石を積みなさいって言ったけど、あれは本心ではないからね。
はやくどこか幸せになれる場所に生まれ変わっておいでね。修行なんてせんくていいから。 

今度もし生まれ変わるなら、私たちの所じゃなくてもいいからさ、楽しく愛されて愛せるところへ産まれてくるんだよ。生きていく事は確かに苦しくて修行だけど、楽しい事や幸せなこと、嬉しいことも新しい学びもたくさんあるんだから…

そういえば今日玄関前に虹が出たよ。

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さてタイトルの「らいはいのうた」に戻って…。

らいはいのうたの一部に

しずけき歩み 象に似て 
やさしきまなこ 澄みとおる

と言うフレーズがあるんだけれど、たしかに彼は象のようにお腹の中ではどしどし私の胃を踏み締めていたし、出てきた姿は象のように静かで穏やかだったなと思う。

瞳は見えなかったけれど...

どうかそのまま、魂の美しいままに、想いの向くままに、どこか幸せなところに好きな形で生まれて誰かを愛してくれて誰かに愛される人生をおくりますように。

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