見出し画像

当たらなかったとしても飽きるまで数撃ちゃいいよ

これは逃げでもなんでもなく、もちろん謙遜なんてものでもなく、僕の言葉はあまり近くで響かない。かといって遠くまで跳ぶ力もなく、せいぜいハードルを飛び越えて終わる。飛び越えて終わるからその後の110mも走れない。

人に伝えるというのが苦手で、どうやったら人に伝わるのかななんてことを考え続けて物書きになるに至った。物書きになると言ったって別にこれで食っているわけではない。一種の妖怪のような分類で、ひたすらに文章を書き続けてしまう、そういう生き物として生活している。先日は旅行の移動中に、今なんかは無職なもんだからこうして少し時間が空いたら文章を綴ってしまう。中学の作文で5枚3種で提出して怒られたのも、読書感想文を3人分書いたのも、今となっては誰も覚えていない恥ずかしい記憶だが、その頃から病気だったのかもしれない。

時間に追われて文章を書くという経験を高校時代に2度した。1つは図書委員の仕事でよくある図書新聞的な全校生徒に配る広報プリントの文章。A4用紙片面を全て自分の文章で埋めた。名前の通り新聞調で4段か5段に分かれていた。あれのほとんどを文章で埋めて年に数回出していた。いつも依頼が遅く、他の人に当たったが書いてくれないからと締め切り2週間前くらいに言われていた。むっつりスケベな目立ちたがりの僕は仕方ないなと頭を掻きながら、無条件かつ無努力でこんなに多くの人の目に触れる文章を書く機会をもらえることに喜んでいた。

もう1つは学校祭での劇の脚本。脚本なんて当時書いたことが無かったし、ルールもわからなかったが演出もと押し付けられ、とりあえず動きと台詞がわかるようにだけ書き、ストーリーが伝わるように練った。隣の教室の国語教師には褒められたが寄せ集めの高校生がそこまで真剣に劇に取り組むはずもなく、舞台自体は散々な形で幕を閉じた。黒歴史ではあるがそもそも黒く塗りつぶしていない歴史なんてないわけで、残念ながら塗りつぶす道具がフリクションしかなかったからちょっと炙れば透けて見える。自分だけにおさめておけば誰にも知られることなく過ごせるのに、手で温めては小出しに見え隠れさせてしまうのはなぜだろう。

なかなか人に伝えるというのが難しく、普段話していても一度で伝わらないことは多い。考えていることが多すぎて、先を見越しすぎて相手が同じ土俵に立っていないことに気づけていないのだ。数撃ちゃ当たるの精神で多方面から色んな例えを交えて話してやっと伝わる。そういう生き方だもんだから、ついつい文章も長くなり、本丸はどこだったんだろうという文章ばかり書いてしまう。

これは僕にとっての文章の位置づけが拠り所であることに起因する。自分で綴る文章も、読み漁る文章も。沸騰している頭を冷ましてくれるのも、沈んだ頭を撫でてくれるのも。おや、そう考えると文章って親みたいだな。時には叱り、時には甘えさせてくれる。頼りになるし支えてくれて、いつまでもそばにいてくれる。なんだ、文章って親だったのか。となると私は文章の子か。待ってろよアトム、お前の隣には私が立つ。
なんて馬鹿な話が通じる世界ならトランプの耳から赤い血なんて流れないわけで、月面の旗が揺れていたからって頭にアルミホイル巻き始めるほどこっちも狂っちゃいられない。

最近読んだ素敵なnoteの話

noteでは日記とエッセイしか読まない。スキしてくれたりフォローしてくれたりした人のnoteは大体覗きに行ってる。これは媚びているわけではなく実は一種の甘え。私の文章にスキしてくれる人はよこしまな心が無い限り同じ感覚を持っている人なのではないか、と勝手にスクリーニングされてくれる。ふるいにかけるというと上に残った側になっちゃうので、クリンスイのフィルターを自ら通ってきてくれたような人たちだと思っている。
そこに飛ぶとうまいことその人の関連とかも流れてきてどんどん渡り歩いているうちに目が疲れて具合が悪くなる。上まぶたの上から眼球を触るとパンパンじゃないかって思うんだけど、普段から確認しているわけじゃないからそのせいかはわからない。ある一定の時間画面を見ていると具合が悪くなり、対処法は眠るしかなくなる。とはいえ寝起きの方が画面の光には弱く、やっと治ったかと起きてすぐスマホを見て具合が悪くなることもしばしば。

この人がスキしていますよって言うのがもっと簡単に共有出来たらなとも思うけど、Twitterでそれは痛い目を見たのでいらないですその機能は。もっというと「今日のあなたに>」って機能もいらない。フォロー中表示がデフォルトじゃないのはあるのかね、マーケティングとかアルゴリズム的な何かが。ユーザーありきの仕様ではないなと感じてしまう。ああだめだ、そろそろ口調が戻ってしまった。僕の中の森本レオは「あるのかね」なんて言わない。言うとしても「あるんだろうか」とか「あるのかな」とかだ。

今日の僕のコンディションにもよるよなあってのもあるけど、文章って全体が好きってことはそんなになくて、ギュっとした部分を好きになることが多い。その人の書いたもの全部好きぃ~とはならないが、核となる部分の感覚や表現が好きだなと思うと、次の作品も読みたくなるし大体は読んでよかったなってなる。砂の女をさらりと読んだからと言って壁がするりと読めるわけでもなく、まちがいの喜劇で笑えたからと言ってハムレットに手が伸びるかと言われるとそういうわけでもないのと同じ気もするが、エッセイとか日記の類に絞ると案外そのブレは少ない。表参道カバーニャからナナメの夕暮れだったり、貴様いつまで女子でからのきれいになりたい気がしてきたとか。

編集がうまいことやってはいるんだろうけど、小説みたいにあっちはあっち、こっちはこっちという分け方よりも常にその人が主役でその人の人生がストーリーの軸っていう方がなんというかストレスが少ない。気がする。

最近読んだnoteの話をしようとしていたらズレました。今まで全然スキとかしなかったんだけど最近するようになりました。ほんとに最近知って最近読んだばかりで申し訳ないんだけど、こちらの3作品良かったので読んでほしい。

拡散力もなければフォロワーもいないので紹介された方には安心してほしいんだけども。更新されるたびに見に行くようなマメさはないけど素敵な作品を読めたことには感謝しかない。

AIで英語学習を始めた。

つぶやきにも書いたが、とうとう英語学習に手を出した。AIの「スピーク」ってやつ。高畑充希がCMやっているアレ。彼女を見るとうちの患者にジェネリック高畑充希がいたなあと思い出す。心療内科の処方が多かったのもあってか綺麗な人や可愛い人が多かった。顔が可愛いと病みやすいんだろうかとスタッフが考えていたがそういうものでもないと思う。誰しもがダメージを負ったとて、手を差し伸べてもらえるのはツラが整っているほうかもしれないなとは思うけども。「です」「ます」でお話してくれる方が多かったのでこちらも話しやすかったというのはある。場には恵まれていた。
なんとなく小さくて華奢なタイプは短時間型の入眠剤、大きめでがっちりしているタイプは長時間型の睡眠薬みたいな処方だったなそう言えば。何でこの人らが苦しまなきゃならんのかなあっていう人達ばっかりだったけど、たまに逮捕されてたり代わりに警察の人が薬を受け取りにきたりもしてたから一つの側面だけ当てにするのはやめにした。

AIだと恥ずかしくないよっていうのは、生きていること全てが恥だと思って生きている僕にはピッタリで、講師のAIも都度褒めてくれるから気分がいい。年会費23,800円(たぶん)というのは安くはない。月2,000円を無職がなぜ新規契約したんだって僕だって思ってる。アマプラもYouTubeもあるし読んでいないビジネス書もあるし、終わってない英語の教材も手の付いていない日本史や世界史のテキストだってあるのに。なんなら暇つぶし用だとブックオフで買ってきた頭がよくなる数学パズルとか京大・東田式天才パズルなんてものまである。

でもだって英語が話せるようになりたかったんだからしょうがないじゃないか。腹筋が割れた後の世界を見て見たくてトレーニングを続けているように、英語が話せるようになった世界も見て見たくなったのよ。ただそれだけ。仕事に生きるかどうかなんて気にして生きてない。
打算的な生き方ってのがそもそもできるタイプではなく、金のために割り切って何かをするってのができない。頭でっかちで行動をしない若者と同じだと言えればよかったんだが、全然関係ない方向に行動してばかりいる人だからより性質が悪い。

英語を話せるようになって何かがしたいとかはほとんどなくて、強いて言うなら彼らが何を話しているかが知りたい。昔うちの父親が急に中国語を勉強し始めたときに「あいつらはきっと悪口を言ってるからなんて言ってるか聞いてやろうと思って」というのに近いから血は争えない。彼は2週間ももたずにゴルフの本片手に麻雀していた。

英語どんだけ出来ねえのよっていうと、「How are you ?」からで丁度いいレベルです。中学のテストは毎回90点台だったしセンター試験も7割くらいは取ってた気がするけど現在の英語レベルはこんなもんです。「I'm fine thank you, and you ?」以外の返しを知りません。ぐっもーにん、ミズグリーンで止まってます。
んで何に笑ったって「Good」を永遠に聞き取ってもらえなかったことね。「Good you ?」って回答するだけなのに、ぐぅ!ぐぅ~!ぐっどぅ!って繰り返してんの。最終的に「Cold you ?」と認識されてました?体調悪そうに見える?ありがとうね。みたいに返されたよ。出木杉君ばりにさわやかだわAIは。
それでも「I'm from the US.」っていう訳の分からん自己紹介をさせられた時には、本当にアメリカ人かと思いました~だなんて褒めてくれるもんだからこっちも思わずニヤついてしまう。ちょろい、なんともちょろい。これだけで継続を決めた。

生きてても大体意味のあることなんてなく、ほとんどのことが自分以外にとっては全くの無意味なわけで、僕が英語を話せるようになったからと言って読んでくれてるあなたの給与が60%アップするわけでもないけど、どうせ無駄なら無駄を重ねたって良いじゃないという気持ちで始めている。無駄にはならんだろうしと思って始めると、いやこれ無駄じゃねえかってなった時に嫌なので。やっても無駄、やらなくても無駄、なんとなくやってみるだけというオールオブ暇つぶし精神でやるのがいいよね。早速出ちゃったオールオブ。合ってるのかすら怪しいけども。まだI'm tired.までしか習ってないし。

大して時間は経っていないのに文字数がそこそこ長くなってしまったな。しかしすごいねパソコンは。全然疲れたって言わないじゃないか。キーボードだって叩いたらちゃんと戻ってくる。仕事してんのに音を上げないだなんてほんとに出来た子たちだわ。
いいなこいつ、充電しながら作業が出来て。こっちの椅子にもその機能欲しい。誰か作ってくんないかな、座ってるだけでお尻からビタミンCが入ってくる椅子。モデルかと思いました~って褒めてくれる機能付いてたら買うわ。


いいなと思ったら応援しよう!