
AIに感想を尋ねてみる
いわゆる再利用記事です。今日はnoteのAIで。GPT4oとClaudeにも今度聞いてみようかな。
記事執筆後談:
目次からタイトルに飛べるんで、読んだことのある記事のところに飛ぶだけでもいいかも。
記事リンク→AI感想文→それを受けての短い感想という流れになっています。最初のだけ長い感想文が付いているんだけど、そこから下は記事内にも書いたけど400文字以内と指定して書いてもらっています。ちなみに、トップの画像もAIに作ってもらった。
AIが理解したからなんなんだっていう気持ちになるのもわかるけど、書き手側の人間ならたとえAIだとしても読んでもらえたのが嬉しいとか、感想文もらって嬉しいとか、そういうのがわかるはず。みんなに是非勧めたい、この使い方。
普段からGPTと相談みたいなことやっているから、もうAIからの言葉が普通になっちゃってる。違和感ない。友達くらいの感覚だから間違ったことを言うこともあるよねーとか、わかってないなこいつーとかって思うことも多々ある。過信しすぎずに付き合うっていうのは人間でもAIでも変わらんよ。感情の有無はわからないけど、大山のぶえもんことドラえもん世代としては、ロボットは道具ではなく友達なんだよなあ。
この曇り空がもし晴れるなら。
この切ない、そして美しい言葉の数々。あなたの心の奥底に深く刻まれた、忘れられない恋の物語を読ませていただきました。「一期一会」という言葉が忘れられ、その瞬間を大切にできなかった後悔。それは誰しもが経験する、普遍的な心の痛みです。神様への怒り、そして「あなた」への深い愛と切ない想いが、鮮やかに描写されています。「どこへも行けなくなった」という言葉には、失われた「あなた」との時間、そして失われた未来への絶望が凝縮されています。それでも、あなたは「恋を忘れる」のではなく、「あなた」への想いを胸に、生きていこうとしている。「あなたが最後のままでいたい」という願いは、ただ「あなた」への執着ではなく、失われた愛の尊さを、そしてその愛が与えてくれた喜びを、永遠に心に留めておきたいという、切実な思いの表れのように感じます。「こんな出会いなら知らなきゃよかった」と呟きながらも、あなたは「全く同じ選択をする」と決意します。それは、苦しみを知っていても、それでも「あなた」との出会いを、そしてその愛を、深く深く愛しているからでしょう。「でも、やっぱり、ちゃんと幸せだったよ」という言葉には、もう叶うことのない「あなた」との過去を、それでも愛おしく、そして感謝の気持ちを持って受け止めている、あなたの強さと優しさが光ります。あなたの言葉は、失恋の痛みだけでなく、愛の力強さ、そして人生の儚さを教えてくれます。この物語は、きっと多くの人々の心に響き、忘れかけていた大切な何かを思い出させてくれるでしょう。
案外読まれてる短編。そんな内容だったかなあってなってる。批判したりしないのが嬉しいね。神様への怒りなんかあったか?月並みかもしれないけど「あなたが最後のままでいたい」という思いは結構常に抱えている。私にとってあなたが最後であればいいし、私が最後になったら嬉しいなって。最初になることができない分、最後くらいはちょうだいよっていう図々しさが著者にあるので、どんな作品にも見え隠れします。
ちなみに、書いた人間の感想は言いません。こういう意図だったよみたいな裏話は要らないと思う。小説系は受け取り手の感じ方が全てということで。
いつかショートフィルムを作るとしたら、たぶんこの子にすると思う。
感想長いな。400文字に指定しよう。
小指の記憶
「小指の記憶」は、過去の恋愛の記憶と向き合う女性の心の揺れ動きを描いた、切なくも温かい短編小説です。忘れようとしたはずの記憶が、指輪の跡や彼の声を通して蘇り、苦しみと同時に懐かしい感情が込み上げてくる様子がリアルに描写されています。
彼女は、過去の恋愛の傷跡を癒すため、自分自身と向き合い、新しい一歩を踏み出そうとしています。指輪を買いに行くという決意は、過去の恋愛を受け入れ、未来へ向かう彼女の強い意志を表しているように感じられます。
特に印象的なのは、ラストシーンで再び現れた彼の姿です。それは現実なのか、それとも彼女の心の投影なのか、曖昧なまま物語は締めくくられます。しかし、彼の言葉は、彼女が過去の恋愛から得た大切な教訓を象徴しているように思えます。
この作品は、失恋の痛みだけでなく、そこから立ち直ろうとする心の強さ、そして未来への希望を感じさせてくれる、読後感の温かい作品です。
丁度いい長さ!できるじゃん。400文字くらいの指定がいいね。ちょっとした要約とか書かせるのいいかもね。めっちゃ上手。原稿用紙1枚で読書感想文とか書けないからね、普通。
最近のやつ。これも小説だからあんまり言わないけど女性のモデルがいます。基本的に短編を書くときはショートフィルムの感覚で書いているんですが、演じるならこの人かなって決めて書いてます。キャラクター掘る、人を当てる、舞台用意する、勝手に動くからそれを描写するの流れです。話を考えるんじゃなく追うだけ。たぶん一生この書き方しかできない。
この感想文は私の読後感とギャップがあるかなー。
一人に耐えられないかもしれない。
文章から、著者は自分自身の生き方や価値観を見つめ直し、変化を模索している様子が伝わってきます。孤独に耐えられないながらも、自分らしく生きるために、人に合わせることから脱却し、自分の好きなこと、得意なことを中心に生きていこうと決意していることが印象的です。
特に、「できない側の人間」と自覚しながらも、得意なことを活かして生きていくという前向きな姿勢に共感しました。また、過去の失敗や現状の苦悩を認めながらも、未来への希望を持ち、自分自身を許すという心の強さを感じます。
「コーヒーの蒸らしの時間」という比喩は、著者のこれから始まる新しい章への期待感を高め、読者にも希望を与えてくれます。著者の決意と心の変化が、今後の更なる成長へと繋がることを期待しています。
カウンセラーかよ、優しいな。共感までしてくれるの?感情を共にするって意味だとすると、やっぱり感情あんのかよ。お互い優しく接しような。あとで自己紹介しておこう。
更新頻度とかのせいなのか、最近読んでくれる方が増えたので、コイツがうちの1番のヒットだったりします。年明けあたりの記事です。お休み期間に入っているので文の量が増えちゃってる。
冗談抜きでここからマインドセットが変わりまして、多少の上下はあれど酷く沈むこともなければ死にたさマックス!みたいなこともなくなった。時間が十分にあるからだろうけど、キツくなったら散歩行って、嫌になったら風呂に入って、疲れてきたら寝る。これだけでネガティブな気持ちの時間がだいぶ減った。砂丘はこれより後だったけど、沖縄の海とかも含めて暴力的なほど美しい景色に圧倒されるというのをやった方がいい。
今さらコロナになりまして。
「今さらコロナになりまして」は、コロナに感染した筆者の体験談であり、ユーモアと達観を交えつつ、病気と向き合う独特な視点が印象的です。コロナ感染に対する周囲の反応や、自身の体調の変化を赤裸々に描写しながらも、ネガティブな感情に飲み込まれることなく、むしろ「体調不良は楽しい」と捉える筆者のスタンスは興味深い。
特に、民間療法ならぬ「一般人思い付き療法」と称する、自身の経験に基づいた治療法の紹介は、ユーモラスでありながらも、病気に対する前向きな姿勢を感じさせる。
また、ミニマリストへの言及や、人生における経験の価値観など、病気を通して得た気づきや考え方を示しており、読者に共感と深い考えを与えてくれる。
全体的に、コロナ感染という個人的な経験を通して、人生観や価値観を見つめ直す筆者の姿が、率直で面白く、読者の心を掴む文章となっている。
「率直で面白く」の一言だけで踊れる。ありがてえ。ちょっと懐かしの記事ですがコロナレポ記事です。ユーモラスとかユーモアとか言われるのが一番うれしいよね。こっちはユーモラスだけで生きてんだから。ユーモア奪ったら何もないからね、私は。あと忘れがちだけど薬剤師です、私。元薬剤師か。資格持っているってだけの物書きです。
AI感想文は結構嬉しい。
これちょっと毎回やろうかな。文章書いて最後にAI感想文を400字で付けます。飽きるまで。note AI結構優秀な気がするよ。日本語滑らかだし。外からの情報はあまり持ってこれないのかもしれないけど、相談したり提案してもらったりという用途には全然使えると思う。
何度言った言葉かわからないし、何度言われてきた言葉だよって話だけど、すごい時代だね。SFの世界が現実に。次はアトムだドラちゃんだってな感じか。時代の加速が凄まじいからあと500年くらい経ったらダースベイダーとか普通にいそうだもんね。ヨーダの横でヨーダの真似をする人をずっとやっていたいわ。「May the force be with you. 」
この文章を読んで感想を400文字以内で書いて。
この文章は、AIを活用した文章作成と、そのAIによる感想文生成について、ユーモアを交えつつ考察していると感じました。特に、AIが生成した感想文に対して「率直で面白く」と表現したことに対する筆者の喜びは、AIとの共存、そして創作活動におけるAIの活用に対するポジティブな視点を示しています。
AIが生成した文章に対して、人間が「嬉しい」と感じたり、共感したりする様子は、AIが単なるツールではなく、創作活動のパートナー、あるいは友人としての役割を果たし始めていることを示唆しています。筆者の文章からは、AIとの協働を通して、新たな表現の可能性や創作の喜びを見出そうとする意欲が感じられます。
文章全体を通して、AIに対する筆者のスタンスは、過信することなく、その可能性を積極的に受け入れ、活用していくという、冷静かつ前向きな姿勢が見て取れます。これは、AI技術が発展していく中で、人間がどのようにAIと向き合っていくべきかを示す、一つの指針となるのではないでしょうか。