ただラッキーなだけ。
現在公開中の映画、「アリー/スター誕生」(原題:A Star Is Born)を観た。
ブラッドリー・クーパー演じる有名歌手のジャックと、レディ・ガガ演じるウエイトレスのアリー。
ふたりが出会って恋をして、アリーがスターに駆け上がる一方でジャックはお酒と薬に溺れて堕ちてゆく、光と影を描いたストーリー。
スターへの階段を登るアリーに感化されることを期待していたけれど、気づいたら堕ちていくジャックに感情移入していた。
才能へのプレッシャー、どんどん耳が聴こえなくなっていくことへの不安、生まれ育った家庭環境、兄との確執、亡き父への想い、恋人の成功、、、
それらから逃げるために、アルコールと薬に依存する日々。
わたしはこれが、自分とまったく別世界のことだとは思えなかった。
今の自分があるのは、ただラッキーなだけ。
一歩違ったらわたしも人生の道を踏み外していたかもしれない。
いつもそう思う。
ホームレスの人たちを見ると、「わたしも生まれた環境が違えば住む家がなかったかもしれない」と思う。(だからビッグイシューは絶対買う)
家庭環境が原因で苦しんでいる人を見ていつも思う。「わたしも同じような体験をしていたかもしれない。そうじゃない家庭に生まれたのはラッキーなだけ」。
交通事故で死ぬ人や、逆に死なせてしまう人のニュースを聞いて思う。「わたしも死んでたかもしれないし、死なせてしまっていたかもしれない」
(叔父が交通事故で29歳で、兄が傷害致死で31歳で亡くなっているので死は身近に感じる。若いころ無茶な運転をしていたから、自分が死ぬ可能性も、死なせてしまう可能性もじゅうぶんにあったと思うと恐ろしくなる)
アルコール中毒の人たちのことを考えると、お酒に頼っていた時期があるわたしにはとても人ごとには思えない。
小心者だから(?)薬には手を出さないけれど、不安な気持ちをかき消すために頼ってしまう気持ちもわからなくもない。
わたしはすごく弱いから、何か支えなしには立てないから、絶望とか、挫折とか、みんなと同じように、人生ですごく辛いことがあったから。
だから一歩間違えたら、人生がめちゃくちゃになっていただろうなって思う。
今こうやって普通に暮らせているのは奇跡だし、今のわたしがあるのは、自分の努力でもなんでもなく、ただただラッキーだったからでしかない。
家族がいるのも、友達がいるのも、家があるのも、仕事があるのも、素敵な生徒さんたちがいるのも、楽しいと思えることがあるのも、毎日穏やかに過ごせるのも。ぜんぶラッキーだからでしかない。
「だから今の暮らしに文句を言わす、毎日を大切に生きよう」とかそういうことじゃなくて、ただ自分の努力で得たものなんてほんのちょっとで、ほぼすべて、「与えられたものなんだ」ってこと。そのことを心のどこかに留めておくこと。それだけでちょっと人生の感じ方が変わってくる。
こんなわたしが、普通に生きられているのは奇跡だから。
なんだかわからないけれど、ありがとうございます。
そんなふうに思ったクリスマスでした。