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さっき浮かんだ良いアイデア、もう思い出せないんだけど…

思いついた斬新なアイデア
ふっと浮かんだこれまでにない気づき

メモなどしていない。また思い出せるから。

そう思っていた。

しかし、彼らはもう、どこかへ行ってしまったきり、戻ることはない…

捕縛しろ!ヤツは斬新なアイデアだ!

後で思い返そうなんて無茶言っちゃいけない。
その場でメモしないと、一生思い出せない。


本を読んでいると、思わぬ気づきがありますよね。

あのときの感覚はこれか!!と、自身の感情を見事に言語化してくれた文章は、ルフィに電撃が効かないとわかったときぐらい、テンション爆上がりです。

最近の私の気づきといえば、例えば…

……

メモをしていないので忘れてしまいました。


なんて憐れな状態を避けたいので、一度、本を読む手を止めてでも、読書中の気づきやアイデアは、極力メモをするようにしています。

最近読んだ渡部昇一氏の『知的読書の技術』という本の中で、「本は身銭を切って買うべきだ」という主張がありました。

理由は、実際に手元に置けば、本に対する観察眼が鍛えられ、その本の良し悪しがわかるようになるというものです。

「そうか??」と一度、疑いました。

ですが、私の実生活においても、紙の本を所有し本棚に置いておくと、なんとなく「自分の本棚に残しておくほどの本じゃないかもな」と思った経験が、確かにありました。メルカリで1300円で売れた。良かった良かった。

この経験を「私の本対する観察眼が鍛えられた」と言い切って良いものかは疑問ですが、少なくとも、自分の書架のこだわりが生まれる程度には本を読めている証なのかと、ポジティブな気づきであったことは確かです。

ちなみに、本棚の整理をしているときに売ってしまった本の中で、また読みたい本が出てきました。

なんてことだ。どうやら、まだ私の観察眼は未熟らしい。

ヘンリー・ジーの『超圧縮 地球生物全史』。
もう一回読みたい。何故私は売ってしまったのか…。

後悔で自分の心が「超圧縮」される感覚を味わいましたが、読書で学んだことや気づきは、下記のような形で残すようにしてます。見にくくて恐縮ですが、参考まで。

竹て。読みにくいだろ

ちなみにドイツの哲学者ショーペンハウアーも同じこと言ってましたね。

自分で行った貴重な省察は、できるだけ早く書きとめておくべきである。これは当然な心がけである。われわれは自分の体験でさえ時には忘れてしまうのである。まして自分で思索したことは、どれだけ忘れ去るかわからない。それに、思想というものは、われわれの望み通りの時にやってくるのではなく、気まぐれに去来するものなのである。

『知性について』


これもメモ(というか付箋)をしていたために引用できました。

メモ、大事。

忘れるくらいなら、大したアイデアではない?

逆説的な考え方ですが、どうしても思い出せないときは、大したアイデアなかったと割り切り、思い出そうと気張るのをやめます。

酸っぱいブドウの逸話そのものな感じは否めませんが…。
過去に囚われて新しい考えに思考が向かないほうが危険です。

ただ、とりとめもないアイデアも、メモで残しておくに越したことはない。

理由は、ジェームス・W・ ヤングが『アイデアのつくり方』言うように、アイデアは既知の組み合わせでしかないためです。

東京にある国立市を思い出しますね。
国分寺と立川の間に位置したので、それぞれの頭文字から成立しました。

なんだその手抜きな由来は。

そのためのnote?

アウトプットしたものは忘れにくい。
思い出すために長時間悩んだものほど、記憶に残るってショーペンハウアーさんも言ってました。

勉強も、誰かに教えると教える側も理解が深まることも多いでしょう。


カラオケで何度も歌った曲は歌詞も、メロディも、クオリティの低いPVも、その脳内に深く刻まれます。


メモはインプットのためでもありますが、
同時にアウトプットのためでもあるように感じました。

覚えたいことはメモ。
誰かに伝えたいこともメモ。

過去に書いた通り、本なんて1回で全て覚えられる人などいません。
サヴァン症候群であるという自負がある方は別ですが。

一日に10冊の本を読むと言われているメンタリストDaiGo氏ですら、
定期的に本を読み返したり、毎回読み方を変え、複数回読む読書法を勧めています。

個人的なnoteの役割は、自身の思考の履歴を残すことにあります。
他人の誹謗中傷に花を咲かせている場合じゃありませんね。
誹謗中傷の履歴が残るだけで、何もいいことはない。

おわり

X:https://x.com/MajinNewType

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