憲法76条は裁判官の仕事をこんな風に規定する。憲法と法律は分かる。「良心に従う」とはどういうことか。
日経新聞クリッピング2024年11月1日付けコラム「春秋」から
—「良心に従う」とは何か?
「良心に従う」という言葉は、日常のなかでは、なかなか意識されないかもしれません。
しかし、よくよく考えてみると私たちは、仕事や人間関係において「自分にとって、それは正しいことなのか、やるべきことか」と考えています。
また、「良心に従うべきか」「損得で判断すべきか」のいずれかの判断に迫られることが、結構多いものです。
ケンブリッジ大学のバーバラ・サハキアン教授の研究によると、
人は1日に約3万5,000回もの意思決定を行っているそうですが、
そのなかで、頼まれごとや判断を求められる場合、長考しているうちに、
ついつい「自分にとっての損得は何か?」という
「ある行為によって人が幸福になれば、その行為は認められるとする功利原理」の判断基準から決めてしまいがちです。
春秋では、裁判官の竹内浩史氏が考える「良心」の思考プロセスは「正直」「誠実」「勤勉」に尽きるとしています。
また、利他心を説く、京セラ・KDDI創業者、元JAL会長の稲盛和夫さんは「良心」について、次のように述べています。
「自分自身の「良心」が、利己的な自分を責め立てているのだと理解しています。
人間は、理性を使って、利他的な見地から常に判断ができれば、いつも正しい行動がとれるはずです。
しかし実際には、そうなっていません。
往々にして、生まれながらに持っている、自分だけよければいいという利己的な心で判断し、行動してしまうものです。
それは、たとえば自分の肉体を維持するために、他の存在を押しのけてでも自分だけが食物を独占しようとするような貪欲な心のことですが、そのような利己的な心は、自己保存のために天が生物に与えてくれた本能ですから、完全に払拭することはできません。
しかし、だからといって、この本能にもとづく利己的な心をそのまま放置しておけば、人間は人生や経営において、欲望のおもむくままに、悪しき行為に走りかねません。
「反省」をするということは、そのように、ともすれば利己で満たされがちな心を、浄化しようとすることです。
私は「反省」を繰り返すことで自らを戒め、利己的な思いを少しでも抑えることができれば、心のなかには、人間が本来持っているはずの美しい「利他」の心が現れてくると考えています。」
日本経済が「失われた30年」から抜け出せず、追い求めるべき「幸福」が見えづらくなっているいま、改めて「本当に正しいことは何か」の問いと向き合ってみてはいかがでしょう。
「良心」をめぐる洞察は、その大きなヒントになることでしょう。
2024/11/1付
日本経済新聞 朝刊
良心に従い独立して判断し、憲法と法律にのみ縛られる。
憲法76条は裁判官の仕事をこんな風に規定する。
憲法と法律は分かる。
「良心に従う」とはどういうことか。
竹内浩史さんが著書で持論を述べている。
弁護士から転じ、津地裁で民事事件を担当する現職裁判官だ。
▼かりに法律がなかったらどちらを勝たせるべきか、良心で考える。その結論を法律に基づいてうまく説明できるか考える。説明できない場合、法律が憲法違反ではないか検討する――。
一部抜粋だが、竹内さんが唱える「良心的裁判官」の思考プロセスだ。さらに、その基準となるのは「正直・誠実・勤勉」であると続く。
▼おととい、同性カップルの結婚を認めない民法などの規定を「違憲」とする判断を東京高裁が下した。「法の下の平等に反する」。きっぱりと断じた判決の論旨は明快だ。裁判官が違憲判決を書くことは覚悟がいると聞いたことがある。心のうちまで知ることはできないものの、思慮に思慮を重ねたすえの答えに違いない。
▼最終的な結論は最高裁に委ねられる。60歳代の原告は「高齢になり時間がない。早く立法化を進めてほしい」と訴えた。あと何年かかるのか。東京高裁は国会に対応を迫った。当事者は根拠なき差別に苦しめられてきた。世論も後押しする。いつまでも棚上げしていい問題ではないはずだ。政治家にだって、良心はあろう。