インパール作戦の悲劇 「白骨街道」で見たものは…
8月12日(土)午後3時~放送(一部地域を除く) 「終戦72年特別番組 秘密~いま明かされる4の真実」
終戦の前年1944年3月、当時のビルマ(現ミャンマー)を占領していた日本は中国への補給路を断つなどの目的で、2000メートルを超す国境の山々を越え、インドのインパールを目指し行軍を始めました。
「3週間で陥落させる」という司令官の目論見は、イギリス・インド連合軍の
「引き付けて叩く」という巧妙な作戦で、もろくも崩れます。最低限の食料と兵站しかない無謀な作戦。日本兵は敗走するしかありませんでした。雨季が始まり、飢えと伝染病が兵士の命を奪います。暑さと雨で遺体はあっという間に骨と化し、その道は「白骨街道」と呼ばれました。
長らく続いた内戦のため、ミャンマーは外国人の立ち入りが厳しく制限され、激戦地にカメラが立ち入ることはほとんどありませんでした。今回、私達は特別な取材許可を得て「白骨街道」に足を踏み入れました。
そこで見たのは72年の時を経ていまなお残る、激戦の痕跡。そして、故郷から遠く離れた地で眠る、多くの日本兵の遺骨でした。長い年月を経て掘り出された遺骨や遺品。無謀な作戦命令に従うしかなかった兵士たちの無念の思いが伝わります。
21世紀のいまでも飛行機や四輪駆動車を乗り継ぎ、日本から丸3日。雨季でぬかるみだらけの酷悪路を揺られ続け、蚊やヒルに襲われながら、なんとかたどり着いたこの場所。73年前、日本兵が徒歩でこの道を切り開きながら行軍していったかと思うと言葉を失います。
遺骨収集はおととし、39年ぶりに再開しました。なぜ、現地のひとたちは日本兵の遺骨収集に協力するのか?その背景を探りました。
激戦地ビルマから届いた絵手紙。そこには美しく、穏やかな異国の情景が・・・。ビルマ戦線で命を落とした祖父の思いをたどるピアニスト。妻と幼い娘に宛てた手紙を祖父はどんな思いで出していたのか?なぜこんなに美しい絵を描いたのか。ビルマからの便りに込められた「祈り」とは・・・。