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ビジョン・ドリブンに生きる転職組が語る、NEWPEACEという選択肢

「好きなことで、生きていく」——。ここ数年、なにかと聞くようになった言葉です。しかし、「そんな言葉で若者を扇情するな」という批判的な意見も、少なからず耳にするようになりました。

「働くこと」や「生きること」に求める価値観はさまざまで、正解は存在しません。「好きなことだけで生きていけるわけがない」という声も、間違いではないでしょう。ただ、自律的に生き、自分が信じられる仕事に就くことは、そうではない選択をするよりも、少なくとも幸福な人生であるように感じられます。

NEWPEACEの新メンバーになった照下真女と山田佑樹は、それぞれ、誰もがビジョン・ドリブンに生きられる社会の実現を目指す1人です。ビジョン・ドリブンに生きる2人が、それを実現するために選んだ居場所は、「VISIONING」を事業の根幹に据えるNEWPEACEでした。

新卒でJICAに入社した照下、後世に残る哲学を生み出そうと研究に没頭してきた山田は、なぜNEWPEACEを自分の居場所に選んだのか——。2人が歩んできた道のりと、描く将来について話を聞きました。

希望になった「VISIONING」との出会い

ーーー2人は、NEWPEACEが事業を展開する領域から、遠く離れた環境で働いていましたよね。どのような経緯で、転職を決めたのでしょうか?

小豆島出身。東京大学、大学院卒。幼少期から「国際協力」に憧れ、新卒でJICAで働く。「理不尽な社会的慣習や価値観を自らの声や行動によって変えていきたい」という思いから2021年、企業のビジョン作りや発信を手がけるNEWPEACEに転職。入社への思いを綴ったnoteは「こちら」。

照下:前職は、開発途上国の開発を支援するJICAです。私はジェンダー領域を専門にしており、それに関する情報収集をしていたところ、たまたま「REING」に出会いました。

REINGがきっかけでNEWPEACEの存在を知り、「VISIONING」というアプローチについて理解を深めていくうちに、「私のやりたいことは、NEWPEACEで実現できるのではないか」と直感したんです。

当時の私は、自分の将来を問い直しているタイミングでした。たくさんの途上国の現場に出張して、先方政府との交渉に場を経験したり、NYの国連本部で行われる国際会議に日本代表として参加させてもらったりする中で、「自分ができることの小ささ」に悩んでいたんです。

日本代表といっても、必ずしも自分の意思で動けるわけではありません。課題に対するアプローチを提案する際は、外交間の上流の議論であるほど、自分のコントロールの範疇外でさまざまな力学が働きます。そうしたシーンに出会うたびに、いま議論しているアプローチが、いったい誰にとっての最適なのかが見えなくなるような感覚になりました。

一方、NEWPEACEが提唱する「VISIONING」は、目に見えない権力に左右されることなく、課題を解決したり、社会をあるべき方向に導いたりできるアプローチです。中高生の頃に、世界地図を見ながら妄想した「誰かの笑顔のために働く」という未来に近づける気がして、転職を決意しました。

Producer / Researcher NEWPEACEの1人目のリサーチャー。外部研究者を招聘しVISIONING®︎について批判的に研究を行う他、Visioning®︎ Firmの事業設計、NEWPEACEが携わるワークショップ監修、プロデューサーとしてパートナー企業のVISIONING®︎実践に向かう。1991年東京出身、18歳にてプロパフォーマーとしてキャリアを開始後、独自手法の限界を感じ慶應義塾大学入学。化粧品会社宣伝部ADへの勝手な弟子入りを経て、デザイン美学(哲学)研究に取組み卒業。前職では多摩美術大学にて産学協同を担った。人間の脱道具化がミッション。VISIONING®︎の®︎を取り払い公のものとすることがビジョン。

山田:私の前職は、美術大学の教員です。10代の頃に友人とパフォーマンスアートの会社を経営していたのですが、「このままでは歴史に残るようなアートやエンターテイメントは作れないのではないか」と感じ、20歳の頃に大学に入学しました。入学後は、初めコンセプトデザインの制作の勉強に打ち込みましたが、それでも実業の中で感じた課題感は解決できず。ならいっそ退学して再び実業の中で学ぼうかと思っていた頃に、美学(哲学)という学問に出会い、そこからは、自分の死後にひとりにでも役に立つ論考を残そうと、哲学的アプローチからデザインの研究を続けて来ました。

ただ、死後の世界での貢献だけを考えていると、どうしても「片手落ち感」から目を背けきれない自分もいました。やはり「現代への貢献」を考える隙を狙っている自分がどこかにいる。自分自身はどのコミュニティに所属して、現代に貢献して行くべきか、30代に向けて考えていました。

そんなときに、C&Cマネージャーの染谷の紹介で知ったのがNEWPEACEです。初めは「え、行かないよ。笑」なんて話していたのですが、「VISIONING」という研究畑から見ると危険でしかない〈概念〉が、実際に現場で起きていることを見聞きすることで、何やら本質的な価値があるのではないかと考えるようになり、メンバーと話して行くなかで、少しずつ興味を持つようになりました。

自分の研究関心からみると「VISIONING」は、設計という行為の中心に、人間の意思を置くアプローチだと考えることができます。私自身は、デザインを哲学アプローチで研究することで、設計という行為に、人間の意思が十分に反映され、それが価値の本質であるということを説明したかった。一方、VISIONINGは実業のニーズとして時代の直観で生まれた「意志を中心においた設計」。死後の社会への貢献は「ミッション」として引き続き抱きつつ、ある種のアクションリサーチを通じて、現代に貢献するのは今ではないかと考え、プロデューサー兼リサーチャーとして入社を決めました。

未来に本気で、仕事に真摯な仲間たち

ーーーNEWPEACEに出会ったとき、どんな印象を持ったか教えてください。

山田:「入らないよ笑」と笑って答えた理由でもあるのですが「きな臭い会社だな」と思いました(笑)。

照下:私はそもそも、「民間企業は自分たちの利益しか考えていない」という気持ちを少なからず持っていました。​​国際協力の場にいたせいか、「世の中のことを本気で考えているのは自分たちだけなのではないか」と錯覚していたんです。「本気で社会課題のこと考えてる?」って。

でも、実際そんなことはなくて。NEWPEACEで働く人たちは、気候変動やジェンダーなど、それぞれが関心を寄せる分野に強い課題意識を持っていました。話していてそれが伝わってきましたし、クライアントの方々も、同じように強い思いを持っていて。この事実を知り、私の見ていた世界は小さかったんだな、と改めました。

山田:照下さんの気持ちはすごくよく分かります。研究畑や大学といった場所は、自分の利益を越えた、未来の人間への貢献に全力で向かう場所です。日本においては、経済的な困難を伴ったとしても、ある種の社会課題に全力で向かって行く素晴らしい能力をもつ人々が集まっています。

だから、実業においてミッションやビジョン、社会課題に向かうということに関して、その誠実性や主体性が何よりも気になっていました。しかし、カジュアル面談を通じてメンバーと話してみると、代表も、マネージャーも、メンバーも、みんな批判精神を持ち、誠実だったんですよね。

キラキラした印象だけを持って憧れて入社し、客観的な視点を持たずに働いている人が1人もいなかったんです。

 ーーー実際に話をしてみることで、印象が変わっていったんですね。

照下:NEWPEACEを知り、「VISIONING」を知ったときに、自分の意思で世界を変えていくアプローチに感銘を受け、情報を集めてていくうちに「入社したい」という思いが強くなったんです。

最初は、入社後にどんな仕事をするかは分からなかったですし、自分の経験が本当に生かせるのか不安もありました。「みんな、​​尖った怖い人だったらどうしよう(笑)」って。でも、NEWPEACEという組織に所属することで、主体性を持って世の中を変えていける可能性を感じていたので、思い切ってコーポレートサイトの問い合わせフォームからエントリーしました。

山田:話を聞いて印象が変わったことはもちろん、実態として、NEWPEACEが想定していないケイパビリティやバックボーンを歓迎する、オープンポジションを受け入れるカルチャーであったからこそ、入社の決断に至ったと思います。

はじめ、NEWPEACEのことをきな臭い会社、きな臭い手法と感じたわけですが、入社したからといって、その感覚は失っていませんし、失うべきだと考えていません。でも「VISIONING」というアプローチは、その行為の本質はこれからの時代において参照され続ける考え方や手法になる可能性が高いと考えています。そのためには、自分自身も新しさの摩擦熱から生まれる「きな臭さ」を肺まで吸い込み、少し服もきな臭くなるかも知れないけれど、頭やビジョンはその匂いを消して仕事に取り組むことで、NEWPEACEに所属する必要と、自分の人生にとっての課題を、繋げてゆくことを大切にしています。

「VISIONING」を仕事にするということ

ーーー 2人は現在、どのようなお仕事をしているのでしょうか。

照下:私はプロデューサーとしてクライアントさんのカウンターパートになって、対話を通じて実現したい世界を探り、それをNEWPEACEのメンバーと形にする仕事をしています。チームに所属するメンバーが、彼・彼女らが得意とする領域で思う存分力を発揮できるよう、チームをマネジメントするのも私の役割です。

山田:私も照下さんと同じくプロデューサーとして、新しい仕事を作り出すことに日々向かっていますが、社内1人目のリサーチャーも兼ねており、”Visioning academy” という社内大学を主宰しています。

VISIONINGのリサーチにあたっては、単なる調査を越えて、アカデミックな視点と外部の風を取り入れて行く仕組みと場ごと開発していかなかれば、深めていくことはできないと思っています。そのために、アカデミックとストリート、双方の視点を持って「VISIONING」の開発と実装をすることが、私の役割です。

転職以前に感じていた仕事への期待感と、現在の仕事にギャップは感じていませんか?

照下:国際公務員を目指していたのは、「誰かの笑顔のために働く」という幼い頃の夢を叶える場所として、最も社会的なインパクトがある場所だと思ったからです。JICAを離れても、その夢に向き合い続けられるかが私にとって重要だったのですが、NEWPEACEに転職したいま、しっかりと社会に貢献できている感覚を持っています。ですから、ネガティブなギャップはありません。

国連やJICAの事業規模に比べたら、事業規模は小さいかもしれません。ですが、社会的に与える影響力はその限りではないと思っています。

ときに草の根的ではあっても、社会で生きる人の孤独を取り除いたり、「私らしくいていいんだ」という肯定感をつくれたりしますから。

これを繰り返していけば、人が傷つけ合うことなく生きていける社会を実現できるはずです。それを原動力に働けていて、なおかつ主体性を強く持てている意味で、転職という選択は正解だったと思います。

山田:私はある種の消極的な仮定を持っていましたから、面談〜入社後で実際に業務するにあたって、ポジティブなギャップを感じました。NEWPEACEの社員、ともに取り組むパートナーの皆さまが、未来に向けて極めて真摯に、ビジネスにおけるビジョンや価値観の価値を信じてアクションを起こしている、という光景に出会う日々です。

ビジョンを実現する場所に、NEWPEACEがある

ーーー2人とも、自身が掲げるビジョンに忠実に向き合っていて、それを実現する場所として、NEWPEACEを選択しているように見えます。これから実現したいことを、教えてもらえますか?

照下:一言で表現するなら、世界平和です。

国際公務員を目指してJICAに入社したきっかけは、幼い頃に読んだマザー・テレサの伝記に感銘を受けたことでした。家族と二度と会えないのを承知のうえで故郷を去り、飢えと病気に苦しむ人のもとに向かったことを知り、「私も平和のために自分の人生を使いたい」と思ったんです。

ひとくちに世界平和といっても、実現方法はさまざまです。例えば、ジェンダーギャップに苦しんでいる女性を救うことだって、平和を実現する方法の手段だと思います。

私は東京大学に入学した日に、「東大女子は結婚できないので、今のうちからパートナー選びを真剣にしてください」と言われました。公的な場でのアナウンスです。また、学生のうち、女性の割合は18%程度であり、地方出身の女性は5%程度です。

それまで自分がマイノリティだと感じたことはありませんでしたが、18歳になってはじめて、自分はマイノリティなのだと自覚しました。世界には、私と同じように疎外感を抱えながら生きている人が、少なからずいるはず。もし、そういった人たちを救い出せたのなら、それは社会的に意義のあることです。

現在の仕事でも、社会から孤独を感じたり、居場所を見つけにくかったりする人たちに寄り添う活動ができていますが、まだまだ足りていません。これから先、ジェンダー以外の領域でも、社会の間違った常識を覆していけたらと思っています。

山田:「ビジネスが道具化されない未来」をつくれたら、と思っています。私がしていた研究のモチベーションは、端的にいうと「物事を道具から克服させる」ことでした。

ビジネスも一般的には目的の表れであり、社員にとっては労働のための道具でもあります。ジョブ型採用の一般化などに顕著ですが、そこで働く人々も、その集合である企業も、目的を実現する道具となり、どんどん透明な存在になって行く。デザイン経営という言葉が再び流行って久しいですが、私はデザインという言葉こそ使わなくても、そこに抗って新しい未来を作りたい。

「VISIONING」が普及すれば、ビジネスとハレーションを起こさない形で、人間の意志や価値観が加わります。それは、ビジネスが道具化することの抵抗として、極めて大切なことです。

NEWPEACEでの活動が、その未来を実現するための一助になればいいと思っています。そうすると、かつて描いていた「死後の世界への貢献」も達成できますから。

照下:NEWPECEでの活動が、誰もが自分の価値観で生きられる未来をつくれたらいいですよね。日本には、個人のビジョンを体現できる環境や機会が、まだまだ少ない気がするので。

山田:アントレプレナー精神を極めて強く持つ人はこれからも表れ、自分自身のビジョンの実現のために、一切を厭わず人生をオールインしてゆくと思います。ビジョンドリブンで生きて行くことは「生き易さ」という観点からは、優しいものではないと、自分自身のキャリアを振り返っても思いますし、今日照下さんの話を聞いていても思いました。だから、社会にそれを同じように求めて行くのではなく、ビジョンというものをキャリアの設計や、日頃の仕事に反映させることの本質的な価値を、届ける仕事をしてゆきたい。そうすることで、誰しもが自律的に生き、設計し、アクションをすることのできる社会をつくれたらと思います。

そして、未来のNEWPEACEの仲間としては、そうした未来に向けて、同じくビジョン・ドリブンでなりふり構わず生きてきたメンバーと協業できたら、何よりエキサイティングだし、幸せだなと感じています。



自分自身のビジョンを実現する場所に、NEWPEACEを選んだ2人。すでにある課題に目を向けるだけでなく、自ら問いを立て、それの解決に挑む姿勢は、NEWPEACEが目指し続ける「在りたい姿」にリンクしていました。

NEWPEACEはこれからも、社会に生きる誰しもが、自分の価値観で生きていける社会の実現に向けて歩みを進めていきます。私たちのビジョンに共感していただける方は、ぜひ一度、私たちと話をしてみませんか。

NEWPEACEは、ビジョンドリブンな組織だからこそ、規定のポジションにとらわれない「オープンポジション」で一緒に働くメンバーを募集しています。少しでも興味を持っていただけたら、一緒に話をしましょう。まずは、みなさんが思い描く未来を教えてください。

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