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もしも僕が図書館の本だったなら、付箋だらけで奥の方に仕舞われた本だと思う。
回りくどい言い方はやめますね。
インプットばかりでアウトプットの苦手だった僕だからです。
言いたいことも伝えたいこともあるのに
「ここにいるぞー!読んでみてくれー!」
とは叫べませんでした。
僕がいる本棚の奥の方から見える、新刊や話題作やベストセラーが並べられる棚を眺めながら「うらやましくなんてないよ」なんて思っていました。
そして同時に「なんでみんな僕を手にとろうとしないんだろう」と首を傾げていました。
考えても答えが見つかることはなく、いつも“自分という本の中身”に間違っている箇所があるせいかと、確認する為にまた閉じこもり、いつか誰かに手に取ってもらえる日を夢見る、そんな本でした。
結果、長年ここに居て被り続けたホコリは周りを見えなくしました。
払えばいいだけのホコリなのに「ホコリがあるから見えない」とホコリのせいにすらしていました。
愚痴をこぼせばキリがないので、そろそろ前向きな話をします。
編集し直して再出版します。
これは、ベストセラーになるような本でも、万人受けするような本ではないかもしれません。
分かりやすさもシンプルさもない、非常に偏った本です。
これが良い本か悪い本かなんて、自分では分かりません。
それはいつでも読む人が決めることである事くらいは知っています。
でもずっと手に取って欲しいと、自ら付箋だけは貼り続けてきました。
なんなら加筆も修正もし続けてきたし、大事な所には線を引いて、もっと大事な所は折り曲げてあります。
オカルトです。
ただでさえ棚の奥の方にあって見つけにくいのに、誰にも目につかないところでただただページだけが増え続け、厚みと重さだけが増え続けました。
自らどんどん読みにくい本に、手に取りにくい本に成り果てた事にすら気付きませんでした。
とにかく。
このまま朽ち果てて捨てられるのは嫌だと思ったんです。
僕の周りには、古くなって捨てられていった本たちがいます。
僕と同じようにホコリを被っても閉じこもっている本たちがいます。
こっちにもたくさんの仲間がいたから、これでいいかと思っていました。
こっちにいる本たちとはそう違わなかったから、どこか安心していました。
いつしかここの居心地にも慣れ、図書館とは、本とは、こういうもんだと信じ込もうとしました。
....あっちに行きたい。
本当はずっとそう思っていたけど、こっちにいる仲間のことを思うと、少しためらっていました。
僕がいなくなるとそこは隙間になり、隣の本が倒れてしまうかも。
今更あっちに行ける訳ないだろうと笑われるかも。
僕自身、再編集されて再発売された、こっちの棚からいなくかったアイツを疎ましく思っていたからでしょう。
空いた隙間を見て「俺が倒れるかもしれねえだろうがよ」と思っていたからでしょう。
暗く狭くホコリっぽい本棚の奥で、もしかしてこんなやり取りが繰り広げられているかと思うと、滑稽に思えました。
そして同時にとても悲しく、切なくなりました。
さよなら。
居心地のよかったここから、僕は脱出します。
もうここには戻ってこれないかもしれないけど、何かを手放さなければ新しいものは持てないのでしょう。
実を言うと、こう思ってこの本棚を離れるのはこれが初めてではありません。
この棚の居心地の良さが忘れられずに、再びこの棚に戻ってきて、閉じこもってしまっていました。
大事なのは、失敗しないことではなく、挑戦し続けることでしょう。
一度はダメだったけど、僕はもう一度チャレンジします。
もしかしたらここnoteは、新しくて人気の本ばかりの図書館なのかもしれませんが、図書館ならば新しい本も古い本もあるでしょう。
新しい本だけがいい訳ではなく、古くてもいい本はたくさんあります。
いい本になったらいいな。
1ページずつ大切に紡いでいきます。