【庵忠茂作さん企画】私のターニングポイント
今回は私が師匠として敬愛してやまない、アンチュウさんの企画に乗らせて頂きます。
お題は「私のターニングポイント」です。
人生においてターニングポイントはいくつかありますが、私の大学時代のターニングポイントについてお話しします。
大学2年時の取り巻く環境
私のターニングポイントは大学2年生の終わりです。
私は学校はもちろん、サークル、ゼミ、バイトの掛け持ちで大忙しでした。
特にゼミはゼミのくせに時間的拘束がえげつなかったのです。
通常、ゼミは月曜日の4限と5限なのですが、平気で21時くらいまで会議が行われていました。
土日も場合によっては、9時から21時まで話し合いが行われていました。
今思うとブラックゼミでしたね(笑)
そんなもんなので、サークルに裂ける時間が足りず、練習もあまり参加できていませんでした。
サークルの飲み会で
2年生の秋頃の飲み会終わり、私は同級生の女の子に泣かれました。
女の子は元フジテレビアナの本田アナに似ていたので、本田さんとしましょう。
原因は私がサークルの運営にちゃんと関わらないからとの事。
2年生の秋頃になると、3年生が就活の準備を始めるため、サークル幹部が徐々に2年にシフトしてくる時期なのです。
私はブラックゼミに所属していたため、サークルの打ち合わせに全然参加する事ができず、本田さんが耐えきれず私にキレたのでした。
本田さんには同じサークルの3年生に彼氏がいて、私は彼氏にも激怒されました。
「お前はなんであいつ(本田さん)が泣いてるか分かってんのか?」
「いや、わかんないっす。」
「それは、お前が何もしねぇからだよ!」と。
カップル揃ってなんなんだよ。こっちはこっちで忙しいんだよ。うぜぇな。
当時はそう思っており、そのカップル2人がとても嫌いでした。
しかし、2年の終わりになり、さすがにこのままではダメだと思うようになりました。
迫られる選択
サークル、ゼミ、バイト。この3つの内、両立できるとしてせいぜい2つまで。
まずバイトはしないと何もできくなるから外せない。となると、サークルかゼミ。。
私の大学は、単位さえ取れていれば卒業できたので、卒論書かなくても大丈夫なシステムだったのです。
となると、時間的拘束も長くて、楽しくないゼミを切るか、、
私は脱ゼミする事を決意しました。学業が本業の大学生としては、この選択は失格でしょう。
脱ゼミはゼミ生からものすごいバッシングを受けましたが、このままこのゼミにいても明るい未来が見えなかったため、耐えて耐えて辞めました。
辞めてからは時間的余裕がかなり生まれ、サークルに専念する事ができるようになりました。
これまでの人生、嫌なことからは逃げて、責任ある立場は避けて来ましたが、その時はせめてサークルとバイトはやりきろうと腹をくくりました。
心変わり
私のサークルは私が2年生の時に新設されたサークルだったため、同期は5人しかいませんでした。
よって、3年になり、5人全員がサークル幹部となりました。
ミーティングを重ね、練習の運営や年間行事の企画を考えます。
真剣に取り組んでいる中で、自身の考えが大きくシフトして行きました。
サークルのみんながよりサークルを楽しんでくれるにはどうしたらいいか?その時点で物事を考えていくと、不思議なくらい本田さんと意見が合致するのです。
今まではあんなに嫌っていたのに、いつの間にやらサークルの議論でも、「いや、俺は本田さんの意見が最も良いと思うよ。」といつの間にか1番の理解者になっている程でした。
本田さんは凄く真面目で真っ直ぐだっため、我が強く、正論だけど周りに誤解を生じてしまう事がしばしばありました。
しかし、私はいつしかそんな本田さんの性格を理解できるようになったので、噛み砕いて説明をするくらいになっていました。
夏合宿
サークルの一大イベントは夏合宿です。
練習メニューやレクリエーション、団体戦のコンセプト決めや景品選びなど、考え抜いて考え抜いて企画し、合宿当日も必死で盛り上げました。
合宿は1人一冊ノートが与えられ、他の人が感謝の言葉や絵など、好きな事が書き込めるシステムとなっていました。
私は当時からシュールな絵を描いていたので、表紙の絵を描いて下さいという依頼が多かったです(笑)
合宿最終日前の夜、みんなで飲み会をやるのが恒例でした。私のサークルはまじめだったので、飲み会はこの日のみオッケーとされていたのです。
飲み会の終盤、後輩たちがサプライズで我々幹部に対して歌を歌ってくれました。
全力で企画運営をしてきた結果、みんなが喜んでくれた事が嬉しくて私は号泣してしまいました。
嬉しくて号泣したのは、これが人生で初だったと思います。
あの時、全てを中途半端にしてずるずるやってこず、サークルに勢力を注ぐ事を選んで本当に良かったと思えました。
そして、大嫌いだった本田さんには、真剣に取り組む事の大切さを教えて貰い、こんなに素晴らしい感動体験をさせてくれて、感謝しかありませんでした。
本田さんに「本当にありがとう。」と言い、握手を交わしたのは本当にいい思い出です。
今はコロナやお互いの生活もあり、暫く会ってはいませんが、今でもたまにLINEするくらいの親友でいます。
ということで、私のターニングポイントは大学2年生の終わりでした。
このターニングポイントによって、私は今でも忘れる事ができない貴重な体験をする事ができました。
青春っていいよね!
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