リレーレビュー企画⑥ピーター・ディキンスン『ガラス箱の蟻』
推薦文
推薦本を提出してから時間が経っているのでもはやどうしてこんな本を推薦したのか記憶が曖昧なのですが、変な小説が好きな人に薦めるならこれが良いなとそのとき読み終わったばかりの本を安直に挙げただけというのがたぶん実情で、昔の翻訳ミステリは慣れがないと読みづらかったかもしれず恐縮ですが、ともかく、変梃なシチュエーションを舞台に正統派英国パズラーを構築したまちがいなく稀有な作品なので、伏線の妙と独特の悲喜劇的ユーモアを楽しんでいただければ幸いです。
(赤い鰊)
レビュー
最近は狂ったような暑さの日が続くが、暑すぎる日は家から出ずに涼しい部屋の中で古典ミステリを楽しむというのもありだろう。体で汗をかかずに脳で汗をかくというのは正しく、そもそも人間の肉体には本のページをめくる以外の用途はない。そういったわけで今回おすすめするのは、ピーター・ディキンスンのデビュー作にして、ピブル警視シリーズの第一作である『ガラス箱の蟻』だ。その面白みはなんといっても特殊設定下で成立する本格ミステリという点にあるだろう。近年、特殊設定ミステリは乱立しているが、それらの作品と比較しても、遜色ない出来上がりになっている。五十年以上前の作品とはとても信じられないほどの奇抜な設定であり、その練られ方も巧みだ。
まず、物語はクー族と呼ばれるニューギニア出身の部族の酋長の殺人をきっかけとして始まる。このクー族というのが少々特殊で、古いしきたりを守りながら、ロンドンにあるアパートで共同生活を送っている部族なのである。怪しげな儀式の執行、独特のしきたりはそれだけで、物語全体に不思議な魅力を与えている。こうした儀式やしきたりが事件を解決する上での大きな鍵となるのは、特殊設定モノとして当然予想できるのだが、その活かし方が上手い(その部分は読んで確認してほしい)。
また、これらのクー族の設定がミステリを成立させるためだけに存在するのではなく、それ自体として読み応えがあるものになっているのも本作の魅力と言って良いだろう。現代よりも特殊設定に寛容ではないという時代背景はあるだろうが、クー族のしきたりや儀式は詳細に描かれており、その説明にかなりのページが費やされている。個別の設定に独自性があるのはもちろんのこと、設定同士の有機的なつながりによって作品全体に説得力が生まれているのも良い。こういった面白さはミステリだけではなく、ファンタジーやSFの世界設定の提示につながる部分もあり、幅広い層の読者が楽しめる作品になっているように思われる。古典作品として敬遠せずに是非読んでほしい一冊である。
(鯨)
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